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<span itemprop="headline">映画「の・ようなもの」(1981)再見。</span>





の・ようなもの」(1981)を見た(再見)。
映画「の・ようなもの」は、若手落語家の青春を描いた森田芳光(1950年1月25日 - 2011年12月20日)の監督デビュー作。

森田芳光監督は、この作品以降、シリアスなドラマから喜劇、ブラックコメディー、アイドル映画、恋愛映画、ホラー映画、ミステリ映画など幅広いテーマを意欲的に取り扱い、話題作を数多く発表。

特に印象に残る作品としては「家族ゲーム」(1983)「失楽園」(1997)「間宮兄弟」(2006)「武士の家計簿」(2010)などがある。

今年1月には、「の・ようなもの」のその後を描いた「の・ようなもの の・ようなもの」(2016)が公開された。生真面目でさえない若手落語家が、もう一度高座に立つよう兄弟子を説得するために始めたおかしな共同生活のゆくえがつづられているる。

「の・ようなもの」では、1980年頃の東京の下町の時代背景が描かれていて、今見直してみると新たな面白さがあった。風俗(トルコ)嬢を演じる秋吉久美子をはじめ尾藤イサオ(今でもいつまでも若い)、でんでん(髪がふさふさの30代で若い!)、三遊亭楽太郎(現・円楽)、小堺一機ラピッド関根関根勤)のふたりが”おすぎとピーコ”を連想させるオネェキャラで出演。



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物語の舞台は東京下町(足立区千住界隈)
若手落語家二ツ目)の志ん魚(しんとと・伊藤克信)は、23歳の誕生日記念に初めてトルコ(ソープランド)へ行く。相手を務めたエリザベス(秋吉久美子)は、実はインテリで落語にあまり興味がなかったが、裏表のない性格の志ん魚と何となくデートを重ね相談相手もする奇妙な関係になる。

ある日、女子高校の落語研究会を指導するはめになった志ん魚は、その中の一人・由美(麻生えりか)を好きになる。エリザベスに相談するものの、どちらの関係も絶ちがたく二股交際を始める志ん魚であった。

由美とのデートの帰り、由美の実家へ立ち寄った志ん魚は両親を紹介され古典落語二十四孝」を披露する。しかし、由美の父(芹沢博文)から「なってないねぇ。どうやって生活しているの?」と心配され、古今亭志ん朝立川談志と比較された挙句、由美からも「下手」と駄目を押される始末。

失意の志ん魚は家を出るが終電は既に無く、堀切駅から浅草へ向けて歩き出す。深夜の下町を「道中づけ」しながら歩き続け、浅草へ到着したとき夜は明け心配してスクーターで駆けつけた由美が待っていた。

その一方、パッとしなかった志ん魚の一門の先輩・志ん米(尾藤イサオ)が真打ちに昇進することとなり、関係者は沸き立つ。エリザベスは引っ越して新たな道を歩むこととなり、取り残されたような気持ちになった志ん魚は自分の将来や落語界の未来について真剣に考え始めるのだった(Wiki)。



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セリフのやりとり、会話が面白い。
主人公の志ん魚(しんとと・伊藤克信)は、誕生日祝いに、落語仲間がカンパを集めて、その集まったお金で初めてトルコ(ソープランド)に行く事になるが、トルコに行ったら、何を話せばいいのかね」と不安。仲間たちは、「芸能界のことでも話せばいいんじゃないの」と送り出す。

「和風トルコ 歌川」という看板の店に入る志ん魚(しんとと)の前に現れたのは、エリザベス(秋吉久美子)と名乗るトルコ嬢。エリザベスは「生活をにをわせる顔をしている」と志ん魚に言うと「風呂が付いている部屋っていいですね」だった(笑)。あまりにも純朴と思ったのか、「トイレも台所もついてないわよ」だった。

エリザベスは、「また来てね」と志ん魚に言うが、「もう来ない。友達のカンパできたんですから」と志ん魚がいうとエリザベスが店にいる時間帯が書いてある名刺を渡し「遅番、早番、休みの予定」と説明し、「今度ご飯食べに行こう」ということになった。

セリフの面白さ、当時流行った時代背景などが垣間見えて興味深い。
エリザベスが、志ん魚に言うセリフ。「”狼たちの午後”(1976年3月公開)のアル・パシーノ(当時の表記はまだアル・パチーノではない)に似てるわね。アル・パシーノって好き」だった。

志ん魚がエリザベスのマンションを訪ね「いい暮らししてますね」というと、「キャリア・ガールだから。でも東京だから高いわ」というエリザベス。

エリザベスが志ん魚を一流レストランに招待。
メニューが英語で、さっぱりわからないという志ん魚は、エリザベスの注文するものと同じ注文でいいという。「ボジョレとテンダーロイン・ステーキ、レアで。エスカルゴのブルボーに、ミソ・スープ。 あとエスプレッソ」だった。

これを聞いた志ん魚は、「すごいっすね。ジェームズ・ボンドみたいっすよ」「あたし、食べるの好きなの」。「これなんですか」「かたつむり」「でんでん虫ですか」。

”おすぎとピーコ風”の小堺と関根が、若手落語家を食事に誘うのだが、落語家が、明日は「稽古で、その次も稽古があって」というと、「けいこ、けいこって、松坂だって、竹下だって、けいこよ!」も笑わせる。

末広亭の前で、二つ目などの若手が「深夜落語」の呼び込み、客寄せで声をかけている。若い男女のアベック(カップル)が店の前で入ろうか迷っていると、呼び込みのあんちゃんが「ホテルじゃないんだから、恥ずかしがらずに入ってください」だった。

若い女性がひとりで映画館に入って、席はガラ空きなのに男が隣に近づいてきたとい「痴漢かもね」。これを聞いたエリザベスは、「女の子がひとりで映画を見るコツは、通路側に座って、隣の席に荷物を置くのよ」だった。

ちり紙交換”のトラックがやってくるのも今では珍しい。
新聞紙や漫画雑誌の束を持ってくると、トイレット・ペーパー(量によって1個~3個)と交換してくれるのだ。

でんでんが、付き合っていた女から「男と女の付き合いをやめて、中性の付き合いをしましょうよ」といわれる。「中性ってなんだよ。洗剤じゃないんだぜ」。

二つ目の若手同士の会話。
「落語は会社のように潰れないですかね」というと「潰れないさ。潰れるときは、日本が潰れる時だろうね」だった。

この映画は、落語を目指す若者の青春模様を描いているが、落語を援護射撃するような映画だったのかもしれない。

予告編で雰囲気を(笑)。
 予告編

「の・ようなもの の・ようなもの」(2016)も見たくなった。


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