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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">★映画館とポップコーン。</span>

シネコンに行くと、一般の食品、飲み物の持ち込みは禁止していて、シネコン内の売店で買わせようと、ポップコーンやコーラなどを販売している。アメリカの映画館では、実は映画館の売上のうち46%はこうした飲み物やポップコーンの売上が占めるという数字もある。

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トウモロコシの起源は8000年前:
現在のトウモロコシとは見た目の異なる、ブタモロコシと呼ばれる雑草が起源だという。ポップコーンという名前は穀粒がポンッとはじけることに由来しているとされ、これは熱を加えた時に内側にでんぷん質とともに蓄えられた水分が蒸気となり膨張し、内側からの圧力に固い外側の組織が耐えられなくなって爆発するためだという。

この特徴は中央アメリカで裁培されたブタモロコシに加えられた最初の変化のうちの1つだった。そしてチリに向かった北アメリカの捕鯨船員がさまざまなポップコーンを発見し、ニューイングランドに持ち帰ったのが北アメリカにポップコーンが伝わった経緯だと考えられている。

一度北アメリカに持ち込まれたポップコーンはまたたく間に広がり、人々はみなポンポン跳ねるコーンをエンターテイメントだと見なし、1848年までにポップコーンは辞書に載るほど一般的なお菓子となったのだった。

そして文字通り爆発的に広まったポップコーンはサーカスや縁日といったエンターテイメントの場で食べられるようになった。実際に、エンターテイメントの場でポップコーンの姿が見えないのはたった1箇所だけでした。それが映画館だったという。
(写真:「Gigazine」)

移動式ポップコーンマシンの登場
人気に拍車をかけたのは1885年にCharles Cretor氏が発明した蒸気によってポップコーンを作る移動可能な機械。ポテトチップスなどのお菓子は調理場なしでは作れないが、移動可能な機械で作れるようにすることで、サーカスや縁日といった場で利用される商業的なお菓子になった。さらに他のお菓子にはない魅力としてはじけた時の香りも挙げられる。

しかし、当時の映画館は教養のある人に向けて映画をアピールしており、館内には美しいカーペットが敷いてあったため、ゴミとなるものの持ち込みを許さなかったのだ。当時は無声映画だったので、映画が上映されている時にポップコーンを食べる音に気をそらせたくなかったのも1つの理由。

しかし、1927年に初めて映画に音声が加えられることで映画館の門戸は大きく開かれた無声映画では文字を使っていたが、音声が加えられることによって読み書きの能力が問われなくなった

1930年には、アメリカでは、映画の観客は週に9000万人となり、それに伴ってお菓子の販売などから収益を得られる可能性も増加。しかし、映画館のオーナーたちは観客席にお菓子を持ち込むことにまだためらいがあった。

1929年の世界恐慌が起こると、人々の群れは気晴らしとして映画館に押し入り、そんな時に5~10セントで売られるポップコーンは人々にとっては手に取れる贅沢品だった。

それに目をつけた商人たちは映画館へと続く道でポップコーンを販売しだし、人々は映画館の外でポップコーンを購入してから映画館に向かうようになったため、初期の映画館にはコートを預ける場所が設けられるようになった。コートの下にポップコーンを持っていないかチェックするためだ。ポップコーンは秘密のお菓子だった。

もう一つオーナーたちがポップコーンの販売に踏み切れない理由として、映画館に適切な換気場所がないということがあった。しかし、観客たちは次々にポップコーンを持って現れ、お菓子を販売するという金銭的な魅力にあらがえなくなったオーナーたちはついに「映画館のロビーでお菓子を販売する権利」を手数料を払った商人たちに与えた。しかし、道で売ると映画に向かう人と通行人の両方にポップコーンが販売できるため、商人たちはこの権利を気に掛けなかった。

最終的に映画館のオーナーたちは仲介人を打ち負かせば自分たちの利益がうなぎ上りであることに気づいた。多くの映画館ではお菓子の力を借りて不況中でも利益を得ることができたが、1930年の中頃から、街の映画館は傾きはじめる。

映画館チェーンのダラスでは、80の映画館でポップコーンマシンを導入したが、最も収益のよい映画館5つはポップコーンマシンを導入するにはハイクラスすぎるとして、マシンを置かなかった。すると2年もしないうちにそれら5つの映画館の収益が赤字に転じた。映画館のオーナーたちはポップコーンが利益へのカギだとついに認めたのだった。

第二次世界大戦は、さらにポップコーンと映画館の繋がりを強固にした。
キャンディーやソーダのようなお菓子は砂糖不足に悩まされ、1945年にはアメリカで消費されるポップコーンのうち半分は映画館で食べられるほど、ポップコーンは映画館になくてはならないお菓子となった。

また、このころ映画が上映される前にコマーシャルが流されるようになった。
最も有名なコマーシャルは1957年に流された40秒の「みんなロビーに行こう」というもの。コマーシャルによって人々はさらにお菓子を食べるようになった。

しかし1960年にテレビが普及することで、映画館の、そしてポップコーンの売上は減少。道ばたやイベントで簡単に食べられるポップコーンだが、作るのが難しいという理由で家庭では普及しなかった。

この問題を解決したのがEZ PopやJiffy Popと呼ばれるキットで、ポップコーン作りに必要な専用の機械・バター・塩といった材料をすべて含んでおり、容器を火に掛けるだけで家庭でも簡単にポップコーンが作られるようになった。

電子レンジで第二のブーム
1970年代には電子レンジの助けで第二のポップコーンブームがやってきた。
レンジのボタンを押すだけで簡単にポップコーンが作れるようになり、家庭で再び食べられるようになったポップコーンはエンターテイメントとポップコーン・映画とポップコーンの伝統的な繋がりを存続させたのだった。

ドイツの電子機器メーカーであるNordMendeは「水曜日の映画のスポンサー」という趣旨で電子レンジの広告にポップコーンを使用した。

一方で、ポップコーンと映画の繋がりが映画館の匂い以上に変えたものがある。
それがポップコーン産業自身だ。

コーンにはホワイトコーンとイエローコーンの2種あり、ホワイトコーンの2倍もコストがかかるイエローコーンは世界恐慌前は普及していなかった。しかし、映画の観客たちはイエローコーンを好み、バターでほんのり色づけられたポップコーンに慣れきってしまったため、ホワイトコーンは受け入れられないようになった。

現在市場で使われているホワイトコーンは約10%、残りの多くはイエローコーンで、青や黒のコーンはごく少量となっている。

古い映画館であるほどポップコーンは重要で、材料費がかからないため、売店の利益率は85%ほどとなっており、これは映画館の収益全体の46%を構成

近年アメリカでは高級志向の映画館ができはじめ、サンドイッチやパンを扱っているところも増えているが、iPic TheatersのCEOのHamid Hashemi氏は「永遠にポップコーンはなくならないだろう」としており、「ポップコーンは人々が作ることができる最も安い食べ物であり、なにより多くの人にとって儀式的な体験なのです」と語っている。(参考:「Gigazine」)

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ポップコーンが安い?!

実は、近くの激安店で、「ポップコーン」を箱買いした。

こちら↓

クイズ:「アベンジャーズ」のキャラクターのポップコーンが12個ダンボールに入っているが、このひと箱の値段は

500円? 300円? 200円? 50円?







正解は「48円」だった。ひと袋4円という計算だ!
飲み物と、こんなのを映画館に持っていけば安上がりだ。

この地域には、スーパーが数店あるが、激安店も増えている。
賞味期限切れに近い(残り数日範囲)食品(チョコレート、ポップコーン、その他)は、10分の1程度の価格で販売しているので、中国人の爆買い、ならぬ「箱買い」が多いようだ。食べないものは買わないが・・・。

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そういえば、20年以上前に、家でポテトチップスを食べながらビデオや映画を見るのを「カウチ・ポテト族」とアメリカなどでは言っていた(笑)。

カウチポテト族:ソファー(カウチ)座り込んだ(寝そべった)まま動かず、主にテレビを見てだらだらと長時間を過ごす人を、「ソファーの上に転がっているジャガイモ」にたとえて揶揄または自嘲した、アメリ俗語的表現。

「カウチ・ピザ・ビア族」ならなってもいいが・・・。


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