公開当時見逃していた「ジョンとメリー」(原題:John
and Mary, 1969)を見た。
原題をそのままカタカナにすれば「ジョンとメアリー」だと思うが「メリー」だとメリー(Merry)・クリスマスのメリーになってしまう(笑)。
「卒業」(1967)で映画デビューしたダスティン・ホフマンの映画では、1980年ごろまでの映画はほとんど劇場で見ていたが、見逃していた3本くらいのうちの1本で気になっていた映画だったがようやく見ることができた。
予告編やキネマ旬報などで内容は知っていたが、描かれているのは、前日の夜、男と女がバーで知り合って、気がついたら男のアパートのベッドで朝を迎えたところから始まり、ふたりの24時間を描いている。
一日、買い物をしたり食事をしたり、デートをしたりして相手のことがだんだんわかってきて、映画のラストシーンで、はじめて男が女に「名前は?」と聞くと「メアリー。M・U・R・R・Y」(←実際はMaryなのだが、おどけてこういったのか)、「ボクはジョン」で終わるところがタイトルにもなっていて、インパクトがあるところ。
そういえば、立ち飲みバーで、ジョンもメリーもそれぞれ友達が一緒に飲んだりしていたが、双方の名前は会話に出ていなかった。
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大都会ニューヨークの朝。
ジョン(ダスティン・ホフマン)とメリー(ミア・ファロー)は同じベッドで目をさました。
昨夜、あるスナックで2人は初めて知りあったのだが、その後の記憶がお互いになかった。
熱いシャワーをあびるメリー。朝食の支度をするジョン。
2人はそれぞれに相手のことに気をくばりながら、朝の時間をすごすのだった。
メリーが化粧している間に、ジョンは彼女のバックの中にあった中年の男の写真をみつけ、ちょっとやきもちをやいた。その写真の男は、メリーの以前の恋人のジェームズ(マイケル・トーラン)であった。彼女の心には、その恋の記憶がよみがえってきた。大学教授で妻子のある彼との、人目をしのんだ恋。しかし、楽しかった日々。
ぼんやりとそんな想い出にふけっているメリーを見て、ジョンは以前同棲していたファッション・モデルのルース(サニー・グリフィン)のことを考えた。しばらくして、2人は昼食をとった。そして、メリーはまた寝てしまった。
いつしか雨が窓ガラスを打っていた。やがて別れの時間がきた。
ジョンがメリーをひきとめる言葉を頭の中で考えているうちに、メリーは雨の中を去って行ってしまった。
彼女が帰った後、ジョンはひどく後悔をし、あてもないまま、ニューヨークのここかしこを探しまわった。(「名前も連絡先も知らなかった!」ことに気がついたのだ。)
しかしどこにも彼女の姿は見つからなかった。
疲れはてて部屋に帰ってきたジョン。
だが、そこに待っていたのは、メリーの可愛い姿だった。
顔を見合わせた2人は、はにかみながらも、お互いの心を了解しあった。
そして、初めてお互いの名を告げるのだった。「ぼくはジョンだ」「私はメリーよ」
(MovieWalker)。
・・・
ダスティン・ホフマンは、アクターズ・スタジオで学び、ブロードウエイの舞台に出ていたが、「卒業」(1967)に遅咲きの30歳で映画デビューして、人気を得て、未公開の小さな映画「ダスティン・ホフマンの100万$大捜査線」(1968)のあと「真夜中のカーボーイ」(1969)と「ジョンとメリー」(1969)で、のちに輝かしい数々の映画を残すことになる。
一方のミア・ファローは、1963年には舞台デビューを果たし、何本かの映画に脇役で出演。1964年から放映されたソープオペラ(=メロドラマ、アメリカでスポンサーが石鹸の会社だったことから、日本のメロドラマに相当するドラマをソープオペラと呼んだ:日本でソープというと意味合いが違ってくるが)「ペイトンプレイス物語」でライアン・オニールと共演して広く知られるようになった。
1974年から1977年まで、ロンドンのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーでチェーホフ、ゴーリキー、ロルカ、シェイクスピアの舞台劇の主役を演じた。1968年、映画「ローズマリーの赤ちゃん」で映画初主演。
ハリウッド期待の若手俳優同士の共演だったことになる。
朝食のシーン
会話をしながらも、腹の中から別の声(心の内)が聞こえてくる(笑)。
日本人は本音と建前があるというが、外国人もその点では負けていない。
家に呼ばれて「食事でもしていって」と額面通り受け取ると、後から何を言われるか・・・(それは愛知県の「お茶漬けでも」というのが、そろそろ帰ってください、というのと同じだ。爆)。
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