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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">続き。「想い出のオードリー・ヘプバーン」(1993)</span>


映画「想い出のオードリー・ヘプバーン」の記事の続きとなる。
 
このドキュメンタリーともいえる映画の中で、オードリー・ヘプバーンの出演映画だけではわからない一面が、本人の口から、また関係者から語られていた。
 
ヘプバーンの映画で、劇場で見た最初の映画が、お気に入りの1本である「パリの恋人」(原題: Funny Face、リバイバル上映で1970年前後に見た)。その後、テレビでも2回くらい見た。
 
フレッド・アステアとの共演について、オードリーは、当時のことを語る。
「私はジンジャー(・ロジャース)ではないのに、アステアと一緒にダンスを踊るなんて。女性なら誰でもアステアと踊りたいでしょう」と、何と幸運なのかと瞳を輝かせていた。
 

                                         あまりにも有名なジンジャーとアステアのコンビ。
 
劇場の立見席で見たが、オードリーの美しさが際立っていた「ローマの休日」(原題: Roman Holiday)。グレゴリー・ペックは、この映画の主役として、「格が違う」ということからグレゴリー・ペックの名前のみ強調され、クレジット・タイトルで、当時は無名に近いヘプバーンは当初は低い扱いになる予定だった。
 
それに対して、ペックは「オードリーは、アカデミー賞を獲るぞ。オードリーを主演にしないと、のちのち後悔して、笑いものになるぞ」と製作サイドに進言したという。結果は、オードリーは、本格初主演にして、ペックの言葉通り、アカデミー賞主演女優賞を獲得した。
 
オープニングの映像をみると、タイトルが出る前に、ペックとヘプバーンの名前がほぼ同格に扱われていた。また、「真実の口」のシーンでは、ペックの発案ですこしコメディっぽくしようということで、手を服の袖に隠すシーンがあるが、オードリーには知らせていなかったため、オードリーの素のままのリアルなリアクションとなった。これが名場面の一つとなった。
 
 
ティファ二ーで朝食を」は、原作者カポーティの要望で当初、主演にはマリリン・モンローを予定したが、モンローが、娼婦役と聞いて、奔放なイメージが固定化するのを嫌って辞退。カポーティはしぶしぶ、オードリーに合わせて脚本を書き変えたのだった。
 

 
劇中、ヘプバーン自身が歌った挿入歌「ムーン・リバー」はあまりにも有名だが、映画完成後のパラマウント映画関係者向け披露試写会で、就任したばかりのパラマウント映画の新社長は、歌のシーンはカットした方がよいと言い放ったと言うが、オードリーは立ち上がり「絶対にカットはさせません」と言って残されたシーンだったという事を、相手役のジョージ・ペパードが、今回の「想い出のオードリー・ヘップバーン」中のインタビュー映像で語っている。

 
尼僧物語」のフレッド・ジンネマン監督は、その自伝で「私はオードリー以上に鍛錬され優雅で自分の仕事に献身的な人にあったことがない」と語っている。
 
「想い出のオードリー・ヘプバーン」の中で、だれもが語っていたことは、オードリーは、純粋であり、知的で品格があるということだった。ホストを務めたロジャー・ムーアは、「僕などは、濁った目をしているが、オードリーの目には、嘘がない」と語っていた。
 
「ヘプバーンのスピーチは、いつでも奢ることなく、周りの人に助けられていたというものだった」と映画関係者の多くが語り、常に謙虚だったという。ユニセフアフリカの恵まれない子供たちの援助をするのは、恩返しをするものだと語っていたヘプバーン。
 
没後20年(1993年没)でも、”永遠の妖精”といわれるゆえんである。
 
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