「ベロニカは死ぬことにした」(2005)は日本映画。
海外を意識してか、英語のタイトル(Veronika Decides to Die)、クレジットも英語が併記されている。
もっとも原作「ベロニカは死ぬことにした」は、ポルトガルの作家・パウロ・コエーリョの1998年出版の小説で、2009年には、同名タイトルのアメリカ映画も製作され、日本では2012年に公開された。紛らわしい。
真木よう子が単独初主演した映画ということで日本版「ベロニカは死ぬことにした」(2005)を見た。主人公の女性ベロニカ(日本版では、主人公の名前はトワに変更されている)の変化を追いながら、生きることについて問いかけた作品である。
昨年公開の日本映画「さよなら渓谷」と「そして父になる」の2作品で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞と同最優秀助演女優賞をW受賞した女優・真木よう子だが、この映画の撮影時には、23歳くらいだったが、わずかな期間だが、その前に「無名塾」にいただけあって、絶叫する演技などが印象的で、ヌードシーンも見せている。
映画は、図書館に勤務する女性が、図書の貸出・入庫をバーコードでチェックしているシーンで始まる。太い額縁のメガネをして、化粧っ気もない。閲覧に来た客が問い合わせをすると、「はいっ」と返事をするが、もうひとりの元気のよさそうな同図書館員の女性が対応してしまう。
この図書館勤務の女性・トワ(真木よう子)は、図書館でも、仕事が終了した時も、電車に乗っている時も、独り言をつぶやいている。「あと少~し。」と。
家に帰ると、薬の瓶から錠剤を取り出し、規則正しく整列したように並べる。
人生に絶望しているようなトワが白紙の用紙に書きこんだ言葉は「大嫌いな私へ」だった。「あと、少~し」というつぶやきは、間もなく死ねるということだったのだ。大量の薬を飲んで自殺を図り・・・。
ここは、精神病院であることがわかる。
トワは、もともと自殺したいと思っていたので、「寿命はどれくらいか」と院長に意味はないが念のため聞くと「あと7日間以内だ」と宣告する。院内では、風変わりな人々が隔絶された独特の世界で毎日をすごしている。
病院長が「なぜ自殺しようとしたのか」とトワに尋ねると、「何でもあるけど、何にもないから。退屈な人生にうんざりしたから、つまらないから死ぬことにした」と答えるトワ。
病院にいる人物は、だれも変人。
理想と現実の狭間で自分を追い詰めてしまった元・弁護士ショウコ、愛しすぎてバランスを失った主婦・サチ、完治後も狂気の世界に安住し続けようとする往年の大女優・紅子。院長とともに彼らを見守る婦長の姿も、どこか普通ではない。
トワを心安らかに逝かせようと、周囲の人々が接触を避けるなか、絵描きになる夢を忘れられず、言葉を失ってしまったクロード(イ・ワン)だけは、トワに共感する。
最初は戸惑い、混乱するトワだったが、おいしいものを食べ、楽しむこと、好きな格好をすること、美しい音楽を奏でること、クロードとの会話、人生を彩る愛しいものすべてが彼女を変えてゆき、やがて生への欲求が芽生えてくるトワ。身近に迫った死をきっかけに、退屈だったはずのトワの人生が輝きはじめるのだった。
・・・
ひとりの女性のファンタジックな再生の旅をドラマチックに描き出した佳作。
生死の境目で一筋の活力をつかみとっていくヒロインを、真木はヌードも辞さぬ凛としたたたずまいで熱演している。背景の雰囲気が、「カッコーの巣の上で」のような印象を受けた。
GH字幕さんに言わせると、真木よう子は巨乳だといっていたが、この映画で納得(笑)。大胆なシーンも何のその。真木よう子によると、自分以外はすべて男兄弟の中で育ち、「性格は男」という通り、「オス」なのだそうだ。
映画全体が暗く、出演者が、舞台のような、大げさで派手な演技なのが、鼻につく。舞台俳優・市村正親は、仕方ないにしても(笑)。
★★
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