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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「裸の島」(1960)

                                       映画「裸の島」(1960、 - The naked island)
 
 
今年5月に100歳で亡くなった新藤兼人監督の追悼記事を以前書いたら、「裸の島(1960)が印象に残るというコメントが多かったので、DVDを借りてみた。遅い!
 
 日本のインデペンデント映画の先駆者といわれる新藤兼人監督は「近代映画協会」会長でもあった。
 
経営危機にあった「近代映画協会」の解散記念作品にとキャスト2人・スタッフ
11人、500万円の低予算で製作された。
 
ところが、この映画が、1961年「モスクワ国際映画祭グランプリ」を獲得したほか、
そのほか世界の国際映画祭で賞を受賞、興業的に成功したことから、「近代映画協会」は解散を免れたのだった。
 
オープニングは、画面いっぱいに、島の全景アップの映像。
耕して天に至る
乾いた土
限られた土地
 
の文字が出た後、タイトル「裸の島」。
 
もの悲しい音楽が全編を貫く。
1時間30分あまり、音楽ばかりで、セリフが一切なし。
 

瀬戸内海に家族4人(夫婦と男の子二人)が住む電気・ガス・水道がない周囲約500メートルの小島(広島県三原市の宿彌島(すくねじま)があった)には平地はほとんど無く、島の頂上辺りの僅かな平地に小屋を建てヤギやアヒルと共に住んでいる。島の斜面に春はムギ、夏はサツマイモを植え生活の糧としていた。
 
長男は小学2年生、次男は未就学であるが両親を助け家事を手伝っている。
 
夫婦の日課は隣島まで小舟を漕いで飲料と畑の作物のための水を汲みに行く毎日だった。隣島より桶に入れて櫓漕ぎ舟で運んだ水を島の急斜面を天秤棒を担いで運び上げるのである。
 
ある時、妻(乙羽信子)が誤って水をこぼしてしまうと、夫(殿山泰司)は声をかけるでもなく、容赦なく妻を平手打ちにする、それほど厳しい生活が毎日繰り返される。このように農業には条件の悪い土地であるが夫婦所有の土地ではなく地代として農作物を納めている。
 
ある日子供たちが鯛を釣り上げた。家族4人がはじめて笑顔を見せる。妻はよそ行きの衣装に着替え家族全員で巡航船に乗って尾道の市街へ行き、鯛を売って普段では手に入らない日用品を買ったり、また外食を楽しむこともできた。
 
ある日長男が高熱をだした。
 
父が医者を探し島まで連れてきたが間に合わなかった。葬儀は僧侶と通学先の担任の先生と同級生が来て遺体は島に埋葬された。
葬儀が終わり家族にはまた日常の生活が繰り返される。
 
しかし畑の作物に水をやっている時、妻は突然桶の水をぶちまけ狂ったように作物を引き抜き始める。そして大地に突っ伏して号泣するのである。
 
夫は妻の心情を思いやり静観するほかなくただ見ているだけであった。ほどなく妻は落ち着きを取り戻し水やりを再開した。この家族にはこの土地で生きてゆくほかなく今日も明日もこの小島で生活してゆくのであった(HPより)。
 
秋には、お祭りがあり、鬼の面をした人々の風景。
冬は吹雪。子供たちの遊ぶ風景や、お囃子の歌と踊り。
春には、桜が咲き、蝶が舞う。
 
家族4人が、街に出ると、駄菓子屋などでまるい画面のテレビがある。
家々には、まばらだが、テレビ・アンテナもちらほらと見える。
今から50年以上前の1960年前後の時代背景がうかがわれる。
 
50年以上昔は、大きなドラム缶を使って、表で風呂に入るという光景が見られた。
この島の家族も、息子二人が、風呂に入り、そのあと、夫が入る。夜遅くになり、
食事も終わったころに妻が入る。一日の疲れも取れ、やっと笑顔が見える。
 
限られた島の土地で暮らす家族。
ほとんど会話がないが、黙々と、質素に暮らす生活ぶりが描かれる。
 
      ラストシーン:息子の死を乗り越えて荒れ地を耕す夫婦。
 
ラストシーンでは音楽に、ラララ~とコーラスのような音声がかぶさる。
 
乙羽信子はセリフはないが、無表情、時には大きな悲しみの表情、慟哭などで、
その存在感を見せていた。映画の公開当時は、セリフが一切なく、登場人物も狭い島で働く夫婦(乙羽信子殿山泰司)だけという実験的な映画であったが、そのリアリティーあふれる画面は大好評だったという。
 
そんな事とはつゆ知らず、いつセリフがあるのだろうかと、20分、30分と待ち続けたが、最後までセリフがなかったのには驚いた。しかし、これぞ映画という印象だった。
 
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