東京・浅草のストリップ劇場「フランス座」のコントで共演した萩本欽一さんと昭和41年「コント55号」を結成。テレビのお笑い番組や、舞台狭しと駆け回る勢いのあるコントを披露。萩本の全身を使った突っ込みをきっちり受け止める「チッコイ目の二郎さん」として人気者になった。
1960年代後半、日本の芸能界では、ナベプロの中心的存在だったクレイジー・キャッツが人気を博していたが、萩本欽一と坂上二郎のお笑いコンビ「コント55号」は、お笑い芸能界に、動きのあるアクション・コントで新風を吹き込んだ。「55」の由来は、巨人・王選手のホームラン記録「55」にちなんだもの、あるいは「Go!Go!」という説もある。
年末の紅白歌合戦の時間帯に対抗した番組「裏番組(=紅白歌合戦)をぶっ飛ばせ!」では、音曲に合わせ踊りながらじゃんけんをして、負けた者が服を脱いでいく野球拳が一般に広まった。坂上二郎の「野球拳」は、少々下品だったが、”ジロちゃん”の持ち前の明るさによって、人気があった。
お笑い界をけん引した一人がまた亡くなり、昭和がまた遠くなった。
ご冥福を祈ります。