fpdの映画スクラップ貼

「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">訃報:坂上二郎さん(「コント55号」)亡くなる。76歳。</span>

 

1960年代後半~70年代にかけて一世を風靡した「コント55号」のコメディアンで俳優の
坂上二郎さんが10日午前9時40分、脳梗塞のため死去した。76歳だった。

東京・浅草のストリップ劇場「フランス座」のコントで共演した萩本欽一さんと昭和41年「コント55号」を結成。テレビのお笑い番組や、舞台狭しと駆け回る勢いのあるコントを披露。萩本の全身を使った突っ込みをきっちり受け止める「チッコイ目の二郎さん」として人気者になった。
                           萩本欽一坂上二郎(左)
テレビのバラエティー番組にも進出、お茶の間でも人気を得るが、昭和40年代後半から俳優としても活躍、TBS系「夜明けの刑事」、NHK大河ドラマ翔ぶが如く」など多くのドラマに出演した。
 
平成15年9月、脳梗塞(こうそく)で倒れ、一時は生命も危ぶまれる状態だったがリハビリ中の16年1月、東京・明治座コント55号公演で舞台復帰した。
 
1960年代後半、日本の芸能界では、ナベプロの中心的存在だったクレイジー・キャッツが人気を博していたが、萩本欽一坂上二郎のお笑いコンビ「コント55号」は、お笑い芸能界に、動きのあるアクション・コントで新風を吹き込んだ。「55」の由来は、巨人・王選手のホームラン記録「55」にちなんだもの、あるいは「Go!Go!」という説もある。
 
年末の紅白歌合戦の時間帯に対抗した番組「裏番組(=紅白歌合戦)をぶっ飛ばせ!」では、音曲に合わせ踊りながらじゃんけんをして、負けた者が服を脱いでいく野球拳が一般に広まった。坂上二郎の「野球拳」は、少々下品だったが、”ジロちゃん”の持ち前の明るさによって、人気があった。
 
お笑い界をけん引した一人がまた亡くなり、昭和がまた遠くなった。
ご冥福を祈ります。