「マザーウォーター」は、この流れをくむ「人と場所との関係」をテーマにした同一プロジェクト作品。今回は、豊かな水の流れを持つ街・京都が舞台。監督は本作が長編デビューとなる新鋭・松本佳奈。
一連の映画で共通しているのは、全体の流れがスローペース。カメラを据えっぱなしで、会話も少なく延々と同じシーンが続くが、苦にならない(笑)。事件は何も起きない。
ウイスキーしか置いていないバーを営むセツコ(小林聡美)。コーヒー店を開いたタカコ(小泉今日子)。豆腐屋を営むハツミ(市川実日子=みかこ)。それぞれ手際よく、慣れた手つきで自分の仕事をこなしている。いずれも“水”にこだわる3人の女性たち。
ハツミを家に呼んで、「グラタン」料理を作るが、ハツミが「料理も得意なんですね」というと「自分で食べたいものだけを作る」と合理的なタカコ。ハツミが豆腐店を始めたのは、小さいときから豆腐が好きだったというのが理由だが「ハツミさんも、好きなものをつくっているじゃない」と言われて「そういえばそうだ」と納得するハツミ。
銭湯の主人オトメ(光石研)は、自分の1歳半になる赤ん坊、ポプラの面倒を見ているが、オトメの銭湯を手伝うジン(永山絢斗)、お守を近所のマコトさん(もたいまさこ)が手伝っている。このマコトさんは、顔見知りの人には、いつも「きょうも機嫌良くやんなさいよ」と声をかける。
そういえば、映画のファーストシーンから、登場人物は、青い空を見て、笑顔で幸せそうな雰囲気だった。
最初に「豆腐」。豆腐屋に、マコトさんがやってきて、「豆腐を、1丁ください。ここでいただいていいかしら?」と聞く。店の軒先で、豆腐を食べたいというので、長椅子を用意して、豆腐と醤油を渡す。
その後は、豆腐を買いに来る客(セツコやタカコなど)に、ここで食べますか?と聞くようになる。一度、店先で豆腐を食べると、必ず次もそこで食べている光景がある。冷ややっこだけでも、おいしそうだ(笑)。
そこに銭湯の着替え場所にいつも寝ている「ポプラ」をマコトさんが連れてくると、ポプラが話の中心となって、セツコ、タカコなども言葉を交わして、顔なじみになっていく。
こうしたことが縁でタカコの自宅に、ハツミや、セツコを招待して、食事をいっしょにする。この3人は、独り身で、どこからか現在の場所に移ってきたが、「今の場所が楽しければいい」(セツコとタカコ)に、ハツミは、刹那主義だと、冗談と批判をこめて言う。
きわめて日常的なことが、静かに淡々と描かれていく。セツコのバーの店は、バーといっても、4-5人座れるカウンターがあるだけ。出てくるのは、ウイスキーの水割りかロックだけ。セツコは、オーダーが入るたびにグラスに大きな氷を入れ、マドラーで丁寧にかき混ぜてから水を注ぐ。
家具職人のヤマノハ(加瀬亮)は、セツコが言う「適当にやっているだけ」が、本当は適当でないことを知り、毎日のように店に来ては、その日に考えたことを話すのだった。
映画の重要な役割を果たしているのが赤ん坊。いろいろな人に赤ん坊はあやされるが、父親のオトメは「このポプラ(赤ん坊)は、この街みんなの子供だね」といわれる。
この子の母親はどうしたのか、まったくわからない。
ところが、ラストシーン。
バーで、ポプラを中心に、皆でわいわいがやがやとしていると、店に顔は見えないが、一人の客の声が。全員がドアの方を向くと、その声の主は・・・
「・・・・・・・・・・」。
で、終わり(笑)。
「えっ」「あっ」と思う幕切れだった。
最後に「マザーウォーター」の曲が流れる。
印象に残るのは、「水は流れている」という言葉。
人間も、毎日同じことの繰り返しのように見えるが、実際は、常に進化
している。この映画でも、最初は知らない人たちが、知り合いになり、
一緒に食事をしたり、バーで飲んだり・・・。
☆☆☆