「コールガール」(Klute)予告編
「コールガール」(1971)を劇場で見たのは、1971年末の二番館(2本立ての新宿西口ロイヤル)だった。昨日、およそ40年ぶりに再見した。ジェーン・フォンダが、コールガールに扮していた。その年のアカデミー賞主演女優賞を獲得した(ジェーン・フォンダ自身は、その後の「帰郷」(1978)でも同賞を受賞している)。
ジェーン・フォンダの発する言葉の明瞭さや声の質感など、見ていて小気味いい。さばさばしていて、役柄もぴったり。したたかさと、その反面の孤独感がにじみ出ていた。
1960年代後半は、ベトナム戦争や、反戦・ヒッピーの時代。その反戦闘士の女優の急先鋒がジェーン・フォンダだった。男勝りの鼻っ柱の強いイメージがある。そのジェーン・フォンダが、孤独で哀愁を帯びたコールガールに扮した映画が「コールガール」だった。
この映画のタイトルは、当時は「?」だった。原題は、私立探偵、ジョン・クルートからとった「Klute」だったが、なぜか日本の映画会社は、インパクトを持たせようとしたのか、「コールガール」(笑)。当時は、安っぽいタイトルをつけるなと怒ったfpd。
ミステリー映画であり「探偵クル―ト」でもよかった。同じ年、ローレンス・オリビエ、マイケル・ケイン主演の「探偵スルース」というのもあった(のちに「スルース」として、マイケル・ケイン、ジュード・ロウでリメイク作品あり)。
それはともかく「コールガール」では、ジェーン・フォンダが屈折した大都市の女性像を見事に演じている。舞台女優を目指すブリ―・ダニエルズ(J・フォンダ)は、当面生きていくために、完全にビジネスとして、コールガールを職としていた。ブリーの友人の女性の客だった男が、殺人事件に関わっていたらしいということで、刑事や探偵がブリーの元に訪ねてくるが・・・。
ペンシルヴァニアの研究所の科学者が突如失踪し数ヶ月。探偵事務所からNYに派遣されたジョン・クルート(ドナルド・サザーランド)は、科学者がコールガールに宛てた卑猥な手紙だけを頼りに独自の調査を始めたのだった。
受取人のコールガールの友人で売れっ子のコールガール、ブリーに協力を請うがつれなくされ、クルートはブリーを監視することになる。クルートは、ブリーに特別な感情を持つようになり、愛に不寛容なブリーを優しく包みこみ、二人は一致して事件の解決に努める。
ニューヨークの都会の夜の光と影(のちの「タクシー・ドライバー」にも似ている雰囲気)、心理の揺れを巧みに捉えるカメラもすばらしい。精神的にも不安定で、孤独感に苛まれるブリーは掛け持ちで複数の精神科医に相談するが、その内容を語るなかに、一見クールに見えるブリーに、胸の内を語らせる構成がうまい。
見るからに堅物そうな探偵、クルート(ドナルド・サザーランド)は、「MASH」「戦略大作戦」のようなおふざけキャラは封印。その堅物が、コールガールのビリーにのめりこんでいく姿が見どころ(笑)。
セリフも結構面白い。
・「こういう商売(コールガール)では、何も気にしなくなった。客(男)の方が緊張している。こちら(女)に主導権がある。なんでも自分で決められる。」
・(現在安アパートにすんでいるが)「その気になれば、パーク・アベニューにも住める。」(※ニューヨーク・マンハッタンにあるパーク・アベニューは当時はパンナムビルなどがあり、成功者の象徴のような金持ちが住んでいた)
・「FBIでも警察でもない探偵にこたえる必要はない」
・(客を紹介する元締め組織の窓口の女に電話で)「(時間がすこしあるから)ショートで稼ぐのは入っていない?」(爆)
・「年に500~600人を相手にしている。いちいち覚えていないわ。」
・(シカゴからニューヨークに年3回出張で来るという男に)「50ドルだったら、これこれ、100ドルだったら”なんでもOK”」・・・行為の間に時計を見るビジネスライクのそぶりが笑わせる(爆)。
タイトルに引かれて、“コールガール”の生態などポルノ映画を期待したおっさんたちにとっては、肩すかしの映画だったろう。きわめてまじめな映画だったから(爆)。
1971年公開当時の映画のキャッチ・コピーは、
真夜中のニューヨークに女の哀愁と男の孤独が激しく燃えあがる!
なるほど(笑)。
原題 : Klute
製作年 : 1971年
チャールズ・チオッフィ(Peter Cable)
ドロシー・トリスタン(Arlyn Page)
記事は一度紹介したことがある:http://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/46390453.html
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