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<span itemprop="headline">森進一と「おふくろさん」との深い関わり(TVで紹介)</span>


              こういうツーショットもありましたが(右は川内康範さん)

昨日(9日)夜「森進一」がゲストで、TV番組に出ていましたが、生い立ちから
歌手として、頂点に至るまでを、それぞれ節目の時代をドラマのように再現して
いました。

森にとって最大のショックは、母親の自殺(47歳!)だったことでしょう。
その原因が、森が人気を得て、心無い女性ファンの一人の妄想をマスコミが
取り上げて、母親にその心労を幾重にも押し付けたことが原因でしたから・・・。

少年時代の森は、朝は牛乳配達、新聞配達、夕方は夕刊の配達と、女をつくって
家庭を顧みない父親から母、妹らと家を飛び出して、極貧の生活を生き抜いてきた
ことは、知りませんでした。

「女のためいき」でヒットを出すものの、様々な難題が襲いかかり、苦難の
連続。紅白歌合戦への出場、ミリオン・ヒットの数々・・・。




「おふくろさん」は、もともと川内康範さん(昨年、逝去)が森のために
書いた曲でした。その川内さんも一時期「私は、森の父親と思っています」
と語っていましたが、「おふくろさん」にセリフが川内の知らないところで
加えられたことで、「今後、森には、一切 ”おふくろさん”は歌わせない」
と宣言。森は、奥さん(森昌子)にも去られ、"おふくろさん”も含めて
川内康範の作品は、すべて封印すると決めて、しばらく "うつ”状態だったという。

川内さんが亡くなって、その息子さん(弁護士)が、「父も怒りの拳を下ろしたかった
にちがいない。そのタイミングが無かったのだろうと思う」と、遺族として
"おふくろさん”を解禁。

やっと、森も元気を取り戻してきたかに見えます。

歌手、芸能人は、あること、ないこと書かれるのは当然というふうに森も
理解しているが、それが家族にも及んで、死に至らしめたことは、悔やみきれない
といった無念の心境が出ていました。

これまでのいきさつをみると、森にとって「おふくろさん」の歌は、大げさに言えば
森のすべて、という印象でした。

早くに亡くなった母と唯一会話ができるのが「おふくろさん」だったと語っていました。

「おふくろさん」がヒットしたときに、母親に会ったときに、母親は「(この歌のように)
そんなに立派ではないよ」と笑顔で語っていたのが印象に残ります。

「おふくろさん」は、当初、アルバムの中の1曲に過ぎず、この曲が注目されたのは、
海外だった。海外に住む日本人のためのコンサートで、森が「おふくろさん」を歌った
ところ、日本への郷愁、母への想いというものを切々と歌った詩、歌に共感が
広がり、音楽事務所では、急遽、シングルカットしていけると判断して、売り出して、
日本でも、大ヒットを記録することになったようです。

森進一の歌は、いつも暗さ、苦しさというのが付きまとう印象を持っていましたが、
背景、事情を知ると、納得できる一面も。

芸能人も大変ですね(笑)。

ところで、カラオケでは、「港町ブルース」「女のためいき」に加えて、数年前から
「おふくろさん」もレパートリーに加わりました(爆)。(母親が、ちょうど2年前の
1月22日に亡くなり、この歌への想いというのが、また以前とは変わってきたと
思うのです。)



おふくろさんの歌詞: