東京オリンピック前後だったでしょう。
日本は高度成長の真っ只中。
右肩上がりの時代で、世界では、地域的に紛争などがあったと思うが、
日本は、平和そのもの。
テレビに釘付けになっている日本人は、いったい大丈夫か。。。
という将来を心配して、評論家大屋壮一さんが作った有名なことば:テレビは、
「一億総白痴化」(の元凶)も有名に。
そんな中、関西系(浪速系)のドラマで、日本中を席巻したのが
「てなもんや三度傘」
1962年5月6日~1968年3月31日に朝日放送・TBS系で放送。
スタート当時、27歳の藤田まことが国民的な人気に。
相棒の ”珍念”を演じた白木みのるとの、それこそ”ひょろながのっぽ”と”童顔の
子供のような、ちいさな坊さん”役のコンビが受けたのだった。
「あちゃー」とか素っ頓狂な声をあげていた財津一郎なども人気があった。
この番組の名せりふは、これしかありません。
昔は、番組のスポンサーと番組が一体化していた。この番組のスポンサーは、
お菓子の前田製菓。したがって、その名せりふも、スポンサーを「配慮」したもの(笑)。
藤田まことの前せりふの「義理に強いが人情に弱い・・・」のあとに続く、このことば!
「俺がこんなに強(つえ)えのもあたり前田のクラッカー」
この番組の人気たるや、すごかったなぁ~。
藤田まことが歌う主題曲もヒット。
「おいらー、旅人(たびにん)、一本刀(いっぽん がーたーあなー)、腕と度胸じゃ、負けない
けれど~、なぜか、女にゃ~、ちょいと、弱い~」