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映画「エッフェル塔~創造者の愛~」(マルタン・ブルブロン監督、原題:Eiffel、製作2021、公開2023)を見る。シネマテークたかさきにて。

エッフェル塔~創造者の愛~」(原題:Eiffel、製作2021、劇場公開2023、フランス・ベルギー・ドイツ合作)を高崎市内のミニシアター、シネマテークたかさきで見る。映画は「高崎映画祭」の上映スケジュールの一環で限定上映。

フランス映画界期待の新鋭マルタン・ブルブロン監督が、長編3作目にしてスペクタクルとロマンスを融合させて映画化。

パリのエッフェル塔を設計したギュスターブ・エッフェルを主人公に、塔が完成するまでの苦難の日々と、ある女性への秘められた思いを、創作を交えて描いたラブストーリー。

出演は「タイピスト!」「キャメラを止めるな!」のロマン・デュリス、「ナイル殺人事件」のエマ・マッキー。エマはのちに「バービー」(2023)ではノーベル物理学賞受賞バービーを演じている。

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ニューヨークの「自由の女神像」の制作に協力して名声を得たエッフェル(ロマン・デュリス)は、パーティの席で大臣から、3年後の1889年に開催されるパリ万国博覧会のシンボルモニュメント制作のコンクールへの参加を要請される。

さらに友人で記者のアントワーヌ・ド・レスタック(ピエール・ドゥラドンシャン)の妻アドリエンヌ(エマ・マッキー)からも野心作を見てみたいと言われたエッフェルは、“ブルジョワも労働者も皆が楽しめるように、パリの真ん中に300mの塔をすべて金属で造る”と宣言。

パーティではアドリエンヌと初対面のふりをしたエッフェルだが、実は彼にとってアドリエンヌは忘れられない女性だった。

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エッフェル塔が建設される背景などを知らなかったので、当時の時代背景やエッフェル塔建設の意義などを知ることができた。

エッフェル塔のフォルムが「A」の形(MLBエンゼルスのロゴに似ている。笑)をしていて、それがエッフェルが忘れられない女性「アドリエンヌ」の頭文字に見えるというのも印象的だ。


マルタン・ブルブロン監督は「この主題(エッフェル塔をテーマに取り上げたこと)に突き動かされたのは、創造物語の甘美で驚異的な側面だった。誕生に秘められた壮大な恋物語が溶け込んでいる」という。

冒頭に映画の冒頭に「史実を基に自由に作った物語」の一行があるが、その通りに歴史に記録された出来事に沿ってストーリーを展開しながら、その空白を想像で埋め、パリ万博のモニュメント建造計画にエッフェルが一転して意欲を示すことになった発端と、そこに至る彼の「秘められた」過去を描いていく。

塔の建造に着手するおよそ30年前、まだ20代のギュスターヴはボルドーで鉄道橋の建設に携わっていた。そこで、作業場のオーナーだった地元の実業家ブルジェス氏の娘アドリエンヌと恋に落ち、結婚を申し込む…という事実(過去)があり、その後を、エッフェル塔の建設とアドリエンヌの再会というドラマに仕立てた。

当初はエッフェルは塔の建設に乗り気ではなかったが、アドリエンヌの希望に後押しされて、資金難に直面しながらも挑戦し、完成に至ったというストーリーがドラマとなっている。

エッフェルがアドリエンヌと再会し、ダンスを踊るシーンで、会話するシーンがいい。アドリエンヌは、夫に見られているから(かつての関係を)悟られないように”自然な”態度をするようにと促したり、スリリングではある(笑)。

ラストのエッフェル塔が完成し、全容が映し出されるシーンは胸迫るものがあった。

100数十年後に、日本の某国会議員(女性)が、研修の合間に「エッフェル塔」の前でピースサインで笑っている写真が物議をかもし「エッフェル姉さん」などと揶揄されることになるとは、エッフェルさんも予想だにしなかったことだろう。

ギュスターヴ・エッフェルエッフェル塔について
アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル(Alexandre Gustave Eiffel, 1832年12月15日 - 1923年12月27日)は、フランスの技師、構造家、建設業者。

一般にはエッフェル塔を設計した人物として知られる。エッフェルはコンテストへのプラン提出責任者、その建設を受託したエッフェル社の代表であった。

エッフェル塔の建造は、フランス革命100周年を記念してパリで開催された1889年万国博覧会の目玉となった一大プロジェクト

1887年1月28日の起工式によりエッフェル塔建設が開始(エッフェル54歳)。基礎工事からスタートし潜函工法により6月11日には基礎が完成。続いて、4本の脚から塔本体の建設が始まり、1888年3月には1階の展望台が完成して4本の脚がつながった。

1988年8月14日には2階展望台が完成し、翌1889年2月24日には3階展望台の工事が着工。1889年3月30日には竣工した。3月31日には首相ピエール・ティラールらを招いて竣工式が行われた。竣工式でエッフェルは自らの手で先端にフランス国旗を掲げ「300メートルの旗竿に国旗を掲げる唯一の国」と語った。

建設はフランス万博に間に合わせるため2年2カ月5日という驚異的な速さで完成した。5300枚のデッサンを描いて1万8000の部品を工場で生産して送り出し、常時150~300人が現場で組み立てるプレハブ工法を採用した。

またエッフェルは熟練作業員による少数精鋭主義をとるとともに工事中の安全対策には特に注意を払い、工事期間中の死者は1人にとどまった。総工費は650万フランであった。

当時は世界で最も高い建造物(312メートル。現在は増設されたアンテナを含み330メートル)となり「300メートル塔」と呼ばれた。

1889年5月6日に開幕したパリ万博においてエッフェル塔は目玉となり、パリのみならず世界中から観光客が押し寄せた。

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