「僕は泣いちっち」などのヒット曲で知られる歌手の守屋浩が19日、がんで亡くなった81歳(翌20日が誕生日で82歳)。千葉県出身。大手芸能事務所ホリプロの第1号タレントだった。
1960年からNHK紅白歌合戦に4年連続で出場。
1976年に引退後はホリプロの社員となり「ホリプロタレントスカウトキャラバン」を発案。榊原郁恵、堀ちえみら多くのアイドルを輩出した。
守屋浩のデビューはホリプロの歴史でもある。1957年、ロカビリーバンド「スウィング・ウエスト」にバンドボーイとして入り、翌1958年にボーカルが退団。リーダーの堀威夫が代役として日劇ウエスタンカーニバルのステージに立たせたところ、女性客から大歓声を浴び、一気に正式メンバーとなった。
1959年にソロデビューし、翌1960年に堀威夫が設立した堀プロダクション(現ホリプロ)の第1号タレントとなった。芸名の「守屋浩」は堀氏の提案。当時、井上ひろし、水原弘と「ひろし」が活躍していたためで、後に「3人ひろし」と呼ばれるようになった。
長い脚の爽やかなルックスに独特のハスキーボイス。代表曲は「僕は泣いちっち」(1959年発売)。上京した恋人への思いを、♪僕の恋人 東京へ行っちっち――♪とユニークな表現で歌い大ヒット。昭和を代表する作詞作曲家の浜口庫之助さんの出世作にもなった。
2007年公開の映画「歌謡曲だよ、人生は」は全10話+エンディングのオムニバスだったが「第1話」が「僕は泣いちっち」だった。
第1話「僕は泣いちっち」題材曲 - 僕は泣いちっち (歌:守屋浩) 監督・脚本 - 磯村一路 出演 - 青木崇高、伴杏里、六平直政、下元史朗
この映画を見た時は、なつかしさで「泣いちっち」になりそうだった(笑)。
ご冥福をお祈りいたします。