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★魅力的な女優シリーズ:①仏女優・ナタリー・バイ(「ポルノグラフィックな関係」)

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 (2018年「フランス映画祭」で来日しインタビューに答えるナタリー、取材時の2週間後70歳)

 「魅力的な女優シリーズ」を思いつきで書き始める。タイトルでドン引きされそうな「ポルノグラフィックな関係」(1999、日本公開は2001)のフランス女優・ナタリー・バイは素晴らしかった

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映画はパリの街で密会を重ねる中年男女の物語。雑誌の”出会い”募集広告をきっかけに知り合った男と女がカフェで対面。その日以来、2人は木曜日ごとに待ち合わせをして、お互いの名前すら知らないままホテルで愛し合う。しかし彼らの関係は、永遠に続くわけではなかった。

ドキュメンタリータッチで描き、ホテルの部屋番号を外から映すだけで、部屋の中からは楽しそうな声だけが聞こえる。次の週も、次の週も…部屋番号が。見せない、想像させるエロチシズム、とたっふぃーさんが「映画におけるエロ200本」で書いていた気がするが、この映画などはまさにそれ。しかし、ついにカメラが部屋の中に”侵入する”。観客は息を飲んでいたな(笑)。

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実はナタリー・バイは、映画界の巨匠ジャン・リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォーらに愛されたフランスの名女優なのだ。日本で「フランス映画祭」のイベントがあるときには、団長として何度も来日している。

ナタリー・バイはパリのフランス国立高等演劇学校を出たばかりの頃「映画に愛をこめて アメリカの夜」(1973)に出演。トリュフォー監督との出会いを次のように回想する。

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     「映画に愛をこめて アメリカの夜」(1973)

「私は当時、ロバート・ワイズの『ふたり』(1973)にワンシーン出ただけだったが、エージェントから、トリュフォースクリプト・ガールの役を探していると聞き彼に会った。監督は、考えていた人物像と違うといったが、読み合わせに呼ばれた。トリュフォーが相手役のセリフを読んでくれたが私は自分が下手なのを痛感。彼は秘書から眼鏡を借りて私にかけさせた。その姿はとてもひどかったが彼は『オーケー、僕のジョエルにぴったりだ』と言い、この役が決まった」。学校にいるときは自分が演劇向きだと思っていたが、トリュフォー監督の、しかも映画作りがテーマの映画に出演できたことで、すっかり映画に恋をしてしまった。」

ジャン=リュック・ゴダール監督「勝手に逃げろ/人生」(1979)以降、自立した女性像を演じることが多くなったのは自分の意思でもあった。俳優とは監督の想像の世界に依存する部分が多いもので、演劇学校でも悲劇向き、喜劇向きとクラス分けされた。私も最初は一緒にいて安心できるような、観客が自分を投影できる女性というレッテルが貼られていた。しかし、自分のバリアを打ち破ってもっと多様な人間を演じたいと「勝手に逃げろ/人生」に出演した結果、危ない女性や心が落ち着かない女性、アルコール中毒の母親などいろんな役をもらえるようになった」と、女優としての意識の変化について語る。

作品を選ぶ基準は、第一にシナリオ、第二に監督、最後に仕事の中身という。

トリュフォーゴダールといった大物監督以外にも、彼女が賛辞を惜しまない24歳のグザヴィエ・ドラン監督の「わたしはロランス」など、若手の作品にも積極的に出演をするナタリー・バイ

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40年以上に及ぶ長いキャリアのなかで大切なのは欲望を持ち続けること。そして、嫌いな映画ばかり出ていると続けたくなくなってしまうので、作品を間違わないこと。「ゴダールの探偵」のような難解な作品にばかり出ているわけではない」と、多様な作品に挑むうえでの姿勢を持っている。

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2002)では、ディカプリオの母親役を演じている。f:id:fpd:20200614122231j:plain