「君の名は」(3部作)の記事の中で主演の一人、佐田啓二は、高橋貞二、鶴田浩二とともに人気を分け合い「松竹戦後の三羽烏」と呼ばれ佐田啓二は車の事故で37歳で亡くなった、と書いた。
らんぷさんから、同じ三羽烏の高橋貞二も車事故で亡くなったが、高橋貞二は忘れ去られているというコメントがあった。高橋貞二といえば木下恵介監督の名作「楢山節考」(1958)が印象に残るが、運転(飲酒運転)操作を誤って横浜市電に激突して死亡。33歳の若さだった。
車事故で亡くなった俳優といえば、赤木圭一郎だ。石原裕次郎の主演映画「紅の翼」にも出演した俳優。愛称はトニーで「タフガイ=石原裕次郎」「マイトガイ=小林旭」に続く「第三の男」と呼ばれた。
その風貌から「和製ジェームズ・ディーン」ともよばれた。アンジェイ・ワイダ監督のポーランド映画「灰とダイヤモンド」を何度も観ていて、暗く影のある主人公マチェックに非常に共感していたという。1961年2月14日、石原裕次郎のケガにより代役となって撮影に臨んだ映画「激流に生きる男」のセット撮影中の昼休憩時に、セールスマンが持ってきたゴーカートを日活撮影所内で運転中、咄嗟にブレーキとアクセルを踏み違え、60km/h以上のスピードで大道具倉庫の鉄扉に激突し、硬膜下出血となり、他界した。21歳だった。
外国でも車事故で惜しくも亡くなり伝説となった俳優は少なくない。
その筆頭は、なんといってもジェームス・ディーン。映画初主演となった「エデンの東」(1955)でいきなりアカデミー賞主演男優賞にノミネート。その後も立て続けに「理由なき反抗」(1955)に主演。翌年には「ジャイアンツ」(1956)で再びアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
しかし、この映画の撮影終了から1週間後にロサンゼルス郊外の州道を運転中に交通事故を起こしわずか24歳の若さで亡くなった。サリナスで行われるレースに向かうため、友人と共に愛者シボレーのポルシェ・550を運転中だったといわれる。熱狂的なジェームス・ディーン・ファンで映画評論家の小森和子は、まだ海外渡航が珍しかった時代にジェームス・ディーンの墓参りに出かけたなどは有名。
アクション映画「ワイルド・スピード」シリーズで知られるポール・ウォーカーは、「ワイルドスピード」第7作の撮影が進む中で、ポールの友人のレーシングドライバーが運転する赤いポルシェ・カレラGTの助手席に乗り帰路についたが、2013年にカリフォルニア州サンタクラリタで車はコンクリート製の街灯や街路樹に衝突し、直後に爆発、炎上、亡くなった。40歳だった。制限速度45 mph (72 km/h) であったが、100 mph (160 km/h) 近くのスピードを出していたことが判明。
映画「喝采」のアカデミー賞女優・グレース・ケリーは、モナコ王妃になり女優を引退していたが、1982年9月13日、自らローバー3500のハンドルを握り南仏のロックアジェルの別荘からモナコに戻る途中に脳梗塞を発症。そのまま急カーブの坂道でガードレールに激突。道路横の崖を40メートルほど転落して自動車は大破。事故後すぐに病院へ搬送されたが意識が回復しないまま翌日に死亡した。52歳。
クール・ビューティ
この他、女優・太地喜和子は「花と竜」(青雲篇・愛憎篇・怒濤篇)(1973)「喜劇 男の泣きどころ」(1973)「喜劇 男の腕だめし」(1974)「喜劇 女の泣きどころ」(1975)「男はつらいよ」マドンナ役などで活躍したが、静岡県で公演を行っていた1992年10月13日、車で桟橋を走っていた際、海へ落下する事故が発生。他の同乗者は脱出したが、太地喜和子は泳ぐことができず、48歳で他界した。
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ところでスティーブ・マックィーンは、1980年に病死(享年50歳)したが、今年没後40年を迎える。同じ1930年生まれのクリント・イーストウッドは、現役なので、マックィーンよりも40年も長く映画界の第一線で活躍していることになる。どちらも映画史の残る名優であることに変わりはない。