1950年代から60年代にかけて喜劇映画で名声を確立したジェリー・ルイス。喜劇俳優としてだけでなく映画プロデューサー、脚本家、監督などもこなしたほか、チャリティー番組にも尽力。1966年から始まった筋ジストロフィー患者を支援する21時間半の長時間番組では司会を務め、日本テレビの「24時間テレビ」のモデルにもなった。
ディーン・マーチン(左)とコンビの「底抜け」シリーズは代表作となった。
1950年代の「底抜け」シリーズは、50年代きっての”ドル箱喜劇チーム”と言われ、30本近くも作られたが、なかでも代表作の一つ「底抜け大学教授」(1962年)は、1996年にエディ・マーフィ主演で「ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合」としてリメイクされた(原題はともに「The Nutty Professor」)。
スペンサー・トレーシーなど大物俳優が総出演した「おかしなおかしなおかしな世界」(1963)では、車でカルペッパーの帽子を轢く男として出演した。
本名はJoseph Levitch。芸人だったユダヤ移民の両親と共に5歳から舞台に立つ。家庭は貧しく、高校はスーパーや帽子工場で働きながら卒業。学生劇などに出演しているうちに芸人を志す。ナイトクラブを経て1946年にアトランティック・シティーのショーに出演。その時ディーン・マーティンと知り合いコンビを結成。フィラデルフィアのカジノでデビューし各地のナイトクラブを廻る内に人気が爆発。
やがてTVへも出演するようになり、その活躍を見たプロデューサーのハル・B・ウォリスに認められ1949年に映画デビュー。以降はいわゆる「底抜け」シリーズで大活躍してマネー・ランキングの上位に君臨。
1956年の「底抜けコンビのるかそるか」でコンビを解消後も人気は衰えず、製作や監督業にも進出。しかし次第に人気は下降線をたどり、1970年を境に映画から遠ざかり南カルフォルニア大学で映画講座の講師を務めるなどしていた(その時の生徒にはスピルバーグやルーカスがいた)。
1980年代からは映画に復帰して「キング・オブ・コメディ」ではロバート・デ・ニーロに誘拐される人気コメディアンを演じて好評を得た。自身のヒット作「底抜け大学教授」をエディ・マーフィがリメイクした「ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合」では製作総指揮も手掛けた。
ご冥福を祈ります。
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