ウディ・アレン監督の「僕のニューヨークライフ」(原題:Anything else, 2003、公開2006年1月)を見た。情緒不安定な女優の恋人に振り回される若手喜劇作家の愛の顛末を描いたロマンティック・コメディ。主演は「アメリカン・パイ」のジェイソン・ビッグスと「バッファロー'66」「アダムス・ファミリー」のクリスティーナ・リッチ。
・・・
また、突然アパートに転がり込んできたアマンダの母ポーラ(ストッカート・チャニング)と同居することになり、自由に原稿を書くことすらままならない状況になった。しかもポーラは、ピアノを持ち込み、クラブ歌手の歌の練習をするのだ。そんな二重の苦難を堪え忍ぶジェリーの前に、アマンダの浮気疑惑も持ち上がり、苦しさはいっそう増していく。
彼は一方で、教師でコメディの台本を書いている先輩作家のドーベル(ウディ・アレン)にそれらの悩み事を打ち明け、人生の指南を仰いでいた。マネージャーのハーヴィと縁を切ることだとアドバイスする。ドーベルもエキセントリックで掴みどころがない不思議な人物。
そんなある日、アマンダの浮気が発覚する。一方、ドーベルは思わぬトラブルが発生し、別の土地に雲隠れすることに。かくしてジェリーは単身で、カリフォルニアへ向かうのだった・・・。
・・・
原題のAnything elseは、2度使われていた。
普通の意味のモノをオーダーの時の「ほかになにか?」の意味ではなく、映画では、主人公のジェリーが「人生とはわからないもんだ」と悩んだセリフを聞いたタクシードライバーがはなった言葉「人生はそんなもんさ(Anything else)」に由来する。映画の前半では、アレン扮するドーベルのセリフにもあった。
アレン自身が、ハンフリー・ボガートを崇拝しているというのは「ボギー!俺も男だ」(原題:Play It
again, Sam, 1971) でも知られている通り、今回の映画の中でも「ハンフリー・ボガーとは都会的センスがある」というセリフがあった。
ウディ・アレンはユダヤ人であり、映画の中で、「ユダヤ人が戦争の元凶だ」という意見に対して、「それは違う。ユダヤ人はシャワー室だといわれてガス室に連れていかれた」とアウシュビッツを引き合いに出していた。
脇役で出演しているダニー・デヴィートは、マネージャーと言いながら顧客はジェリーひとり。3年契約を結んでいたが、契約更改に当たって7年契約を提案してきた。しかし、マネージャーで、顧客がほとんどいないというのは実力もなく評判もよくないので、ドーベルがジェリーに解約を勧める。
ジェリーが、新しい方向に進みたいので、契約はしないとマネージャーに伝えると、マネージャーは激怒して、大声でレストランで怒鳴りチラシ、発作で倒れてしまう。この時の圧倒するような演技は、ロバート・デ・ニーロのような迫力だった(笑)。
全編にウディ・アレンの言いたいことが様々なセリフで込められている。
別れ話を持ち出してきたアマンダがジェリーに言うセリフは「ニューヨークでは負け犬でも、LA(ロサンゼルス)では億万長者になれる」と励ましたつもりでも、ジェリーには皮肉に聞こえる。
アマンダの母ポーラが、アパートの新しい恋人を連れ込んできて、コカインを吸い始めるが、ジェリーにも勧めるのだ。ジェリーが仕事で使っているノートパソコンを閉じてその上で吸っているのを見てあきれ返ってしまう。アメリカというところは、コカイン、マリファナ、銃などが日常的に蔓延しているというのも恐ろしい。
ウディ・アレン自身がそれまでニューヨークをこよなく愛し、ニューヨークを舞台にした映画を撮ってきたが、この映画をニューヨークの最後の作品としたかったようだ。
この映画は、他人に相談ばかりして、なにも自身で解決できない優柔不断な若者が、アレンやクリスティーナ演じる、わがままで神経症気味で人騒がせな周りの人々に振り回されながらも、人生について徐々に悟っていくというストーリー。
多くの台詞と軽快なユーモアで展開する、アレンワールドはいつものとおり。
☆☆☆
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「にほん映画村」に参加しています:ついでにクリック・ポン♪。