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<span itemprop="headline">★テレビ「サワコの朝」のゲストは山田洋次監督。</span>


今朝の「サワコの朝」のゲストは、「妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII」が現在公開中の山田洋次監督だった。

番組では、ヒットしなかった初監督作品「二階の他人」の思い出や映画を撮っているうちに結果として“家族”をテーマにした人間ドラマを描き続けていたという話などが興味深かった。

男はつらいよ」シリーズはテレビが最初。
最後に主人公の寅さん(渥美清)が、ハブに噛まれて死んでしまったので、視聴者から「殺すな」と猛反発のクレームがあったという。確かに当時、聞いたことがある。妹役で共演の長山藍子も泣いたという。

それならと、映画で「男はつらいよ」で復活させようとシリーズ化した。
途中で、”おいちゃん”役の名優・森川信が亡くなった時は、やめようかと思ったというが、地方の劇場主からは「寅さん映画で飯を食っているんですやめないで欲しい」と言われて続けたという。泣かせる(笑)。

寅さんの”テキヤ”の口上は、寅さんの体に染み込んでいて、いくらでも出てくるのだという。「結構毛だらけ猫灰だらけ~」など、そのセリフを聞いて、逆に脚本を書いていったというのだ。


                  山田監督と談笑する番組ホストの阿川佐和子

 

さらに「記憶の中で今もきらめく曲は?」では、学生時代に聴いたというフェデリコ・フェリーニの監督作「」のテーマ曲が印象的だという。

作曲家ニーノ・ロータは、誰もが一緒に仕事をしたいと思う作曲家だという。
ロータが手がけた楽曲を「聴いているだけで涙が出る」と、当時の思い出とともに語っていた。

生まれは、父の関係で満州だったが、東大の法学部に進み、映画研究会に入った。
学校はほとんど行かず、就職試験もほとんど受からなかった。サラリーマンになる気はなかったといい、「たまたま松竹の助監督で拾ってもらった」という。

同世代の監督には、監督第一作となる「二階の他人」はヒットしなかった。
劇場でみると、なぜか自分の匂いがする、と振り返る。

第一作目で大ヒットしないでよかったと述懐する山田監督。
一作目でヒットしてしまうと、常に比較されてしまい、苦労する監督が多いという。
数作目でヒットするのがいいという(笑)。

松竹に入った頃は、小津安二郎が家族をテーマにした作品をとっていたが、面白いとは思わなかったという。もっとダイナミックな黒澤明のような作品が撮りたかったというから、運命はわからない。

同世代の監督には大島渚浦山桐郎などがいたが、山田監督は監督になるのが遅れ、それならと脚本に力を注いだという。それが徐々に認められ、「二階の他人」の監督デビューにつながった。

「家族はつらいよ」シリーズの3作目となる「妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII」は、橋爪功吉行和子演じる熟年夫婦と2人に振り回される家族を描く「家族はつらいよ」シリーズ第3弾。「主婦への讃歌」をテーマとし、夏川結衣演じる主婦・史枝の家出騒動が描かれている。

フェリーニの「道」はかつてテレビで一度見ただけだが、もう一度見たくなった。
就職試験の時に何社か受けた会社の中で、自由作文のテーマで「道について自由に書け」というのがあった。そのときは映画「道」を見ていなかったが、内容は知っていて、映画「道」を例えにして作文を書いたが、見ていないことを見抜かれたのか、文章力のまずさか、不合格だった(笑)。

8社目に受けた会社(某新聞社)に願書を出したところ、偶然だが、その数日後に大学の担当講師から自宅に電話があって「まだ、就職が決まっていないようなら、同僚の大学の教授から、一人、知人の役員がいるというその専門新聞社の採用申し込みを受ける気があるかどうか」と出席率だけは?よかったfpdにまず声をかけたというのだった。

その会社の試験に臨んだが、すでに17-8名は採用が決まっていて、fpdは特別枠で一人だけで、個室で試験を受けた。豪華弁当も出るなど特別待遇だった(笑)。

それまで業種が違う7社もやみくもに受けて不合格になっていたが、運良く入社したのだった。今から思うと、当時はそう思わなかったが、コネ入社の匂いがするな(笑)。


話が脱線した。

映画「道」をしっかりと見るぞ、という記事だった。

山田監督が、「2曲目」に選んだ曲は、「男はつらいよ」のテーマ曲だった。

これは導入部の「ター♪」という音楽のイントロだけで「男はつらいよ」だとわかる素晴らしさがあるという。確かに。

                                 イントロに注目。

寅さんを演じた渥美清も亡くなって何十年も経つが、妹・さくらや夫、息子などは生きている。「その50年後は・・・という内容でどうか」と阿川佐和子が水を向けると、「50年前の映像も流したりして・・・」とまんざらではなさそうな山田監督だった。



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