アラン・ドロン主演の「高校教師」(原題:La Prima Notte di Quiete=静かな最初の夜、1972)を見た。イタリア映画。監督は「鞄を持った女」「国境は燃えている」などのヴァレリオ・ズルリーニ。
ズルリーニ監督は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の門下生でもあり友人。主演には、当初マルチェロ・マストロヤンニを予定していたが、スケジュールの都合から、ヴィスコンティの作品(「山猫」など)に出演していたドロンに脚本を見せたところ、ドロンとしても、それまでのフイルムノワールの型にはまった役から、深みのある演技派への脱皮から、即答で決まったようだ。
うらぶれた生活のワケあり不良教師アラン・ドロンが美貌の女子高生ソニア・ペトローヴァと禁じられた恋へとまっしぐら。当然のごとく悲劇的結末になるというストーリー。
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映画はヨットのシーンから始まる。
一見、”太陽がいっぱい”を連想させるが、舞台は、ジュネーブに近い北イタリアのリミニという小都市。雰囲気が全体として荒涼として、テーマ曲のトランペットの音色と海辺の静かな風景が何度も登場するのが印象的。
ダニエレ・ドミニチ(アラン・ドロン)が妻モニカ(レア・マッサリ)とともに、この地にやってきたのは、「初めてのところだから」と臨時教師として赴任してきた高校の校長に語るシーンがある。
彼が、町での初めての夜、姿を現わしたのはバクチ場だった。
夜もふけた頃、家に帰ったダニエレはモニカが電話で話しているのを聞いた。その声は男がいる事を匂わせるがダニエレにはとがめる気力もない。十年前、モニカを夫の手から奪い取ったのは愛の情熱だったのか。
ダニエレの授業は生徒たちを戸惑わせ、その放任ぶりに校長(サルヴォ・ランドーネ)は非難の眼を向けたが、彼は平然と受け流していた。その教室の中に冷やかな視線があった。清らかに澄んだ瞳に不似合な、成熟した女を感じさせる娘バニーナ・アバーティ(ソニア・ペトローヴァ)の視線は、ダニエレを突き放しながらも妖しくからんでくる。
出席簿には、2年間の休学が記されてあった。
理由を尋ねるダニエレに、バニーナに代ってクラスの全員が嘲(あざ)けりの薄笑いをさらした時、ダニエレは後めたいものを感じた。彼は、バニーナが学校の帰りに、迎えにきた男の真紅のスポーツカーに乗り込むのを目撃した。
翌日、ダニエレは、バニーナを助手席に誘って郊外へでかけた。
そして昨日のスポーツカーの男ジュラルド(アダルベルト・マリア・メルリ)の事を尋ねずにはいられなかった。彼とは結婚しない、愛してもいないとバニーナはいう。どこか投げやりな口調の中に、ダニエレはこの美しい娘の不幸をのそき見たような気がしたのだった・・・。
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アラン・ドロンが無精ひげで崩れた教師役を演じている。
役が変わってもタバコを離さないのは変わらないが。授業はかなりいい加減で、規則で禁じられているタバコも生徒には自由に吸わせている。課題を与えると担当授業中に、自分は新聞スタンドに新聞と雑誌を買いに行ってしまう。
ダニエレ(アラン・ドロン)は妻モニカ(レア・マッサリ)とは冷え切っていて、妻にも浮気相手から電話がかかってくる始末で、妻もダニエレが外で何をしようがお構いなし。それでいて、ダニエレが別れを告げると、「ガス自殺する」と脅したりする。
薄幸(10代半ばで母親から娼婦をさせられていた)人生を送ってきた娘バニーナ(ソニア・ペトローヴァ)とこれから人生をともにしようとした矢先に、大事故で命を落とすダニエレ。ドロンの最後は大抵、死が待っている。
アラン・ドロンの映画では異色な部類の映画だが、見応えがあった。
ワンカットしか登場しないが、バニーナの母親役で登場するアリダ・ヴァリ(「かくも長き不在」「第三の男」)の凄まじい形相!ダニエレの妻役のレア・マッサリ(「情事」「国境は燃えている」)といった演技派女優の他、レナート・サルヴァトーリ(「若者のすべて」「Z」)、ジャン・カルロ・ジャンニーニ(「ジェラシー」)などが共演している。
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