fpdの映画スクラップ貼

「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「霧の波止場」(1938、日本公開1949 、仏)ジャン・ギャバン主演。

 
ジャン・ギャバン主演のフランス映画「霧の波止場」(原題:Le Quai des brumes、1938、日本公開1949年)を見た。”犬(ワンコ)”(無名)が泣かせるので、要注意(笑)。
 
霧に煙る波止場に、わけありの人々が集まり、さまざまな出来事があって、脱走兵の30代の男と17、8歳の美少女が恋に落ち、二人で外国に脱出を図ろうとするが、悲劇的な結末を迎えるというストーリー。


男のそばにいつもついて回る野良犬のワンコが全編に登場するが、”主人”の悲劇を知らずに街をさまようさまは”忠犬ハチ公”そのもので泣かせる。
 
ミッシェル・モルガンは映画出演時は17歳だが、大人びて見える。大きな目が特徴で美しく眼力がある。ジャン・ギャバンは、34歳くらいで、晩年の渋さはないが、哀愁を漂わせている。
 
・・・
フランスの港町ル・アブールまで20キロの場所ジャン(ジャン・ギャバン)はさまよっていた。歩いている途中で、トラックの運転手にル・アブールまで乗せてもらう。ジャンは波止場のボロ小屋同然の酒場パナマたどり着いたそこには訳ありの人間ばかりがいた。お互いにそれぞれの素性は詮索しない。そんな中に、黒のまだらのある白い犬もいた。

ジャンはフランスの植民地支配下におけるベトナムで兵役に就いていたのだが、そんな兵役に嫌気がさして、脱走して逃げていたのだった

しかし、パナマ」で人生に絶望していたのはジャンだけではなく、お客として先にた売れない画家ミシェル(ロベール・ル・ヴィギャン)もその一人だった。ジャンとミシェルはお互いに人生に対する不平不満を言いあっていた
 
 

ジャンはネリー(ミシェル・モルガン)という若い女性がることに気づく。ジャンはネリーと話しているうちに安らぎを感じ。ジャンとネリーの2人が楽しそうにしているのを見て、ミシェルはある決意をする。

ジャンとネリーはパナマを出て波止場を歩いていると、波止場をうろついているヤクザのリュシアン(ピエール・ブラッスール)たち3人が絡んでくる。しかし、ジャンはリシュアンを追い払ってしまう。そしてジャンとネリーはその日の晩に会う約束して別れる。
 
         画家として別人になりすましパスポートを持って出港を図るジャン。

ジャンはベネズエラ行きの船に乗って、新しい人生を始めようとしていた。
 
ぎよくネリーと別れるつもりだったジャンだったが・・・。思わぬ悲劇が襲う。
覆われ波止場の雰囲気がよく出ていている。そして、いつの間にかジャンに付き添うようになる野良犬の存在もこの映画に深みを与えている
 
 
ジャンは、身分証明書も旅券も手に入れ、船には手荷物と、犬をロープでつないで、最後にネリーに別れのあいさつのため出港前にいちど、船を降り、ネリーに会ったのだが、その後再び乗船しようとした矢先に、チンピラの仕返しの凶弾に倒れたのだった。
 
       船に残されたワンコは、主人が戻らないことに不安を・・・?。
             おかしい。なぜ、主人は来ない!
              探しに行くしかない!
           主人を探しに闇の中に消えていくワンコ。
 
船の出港の汽笛の音がなっているのに、”主人”が現われないことから、犬(ワンコ)は、ロープを懸命に引っ張りちぎって、船を降りて街をさまようのだった。主人が帰らぬ人となっているのは知る由もない(泣かせる)。
 
・・・
この映画は上映に当たっては困難に直面したというテロップが最初に流れる。1939年の第二次大戦前であったことによるもので、その内容(字幕)は以下の通り。
 
「製作には当初から多くの困難が伴った。脚本は撮影前に軍の検閲を受け、プロデューサーは監督に不適切なシーンの削除を要求。1939年9月の開戦後に上映打ち切りとなるが、1941年1月に再上映が許可された。オリジナルのネガフイルムは未完成のままだったが、幸い1938年のプリントが保温されており、劇場公開前に監督が行った編集により近い形での修復が可能になった。(以下省略)」
 
監督は「天井桟敷の人々」のマルセル・カルネ
ミシェル・モルガンは、映画デビュー2年目で、この映画によりスターの地位を確立した。主な映画では「夜の騎士道」「落ちた偶像」「田園交響楽」「狂熱の孤独」などがある。
 
☆☆☆
 
 
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「にほん映画村」に参加しています:ついでにクリック・ポン♪。