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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「ヘッドライト」(1956、仏):ジャン・ギャバン、フランソワーズ・アルヌール。

 
フランス映画「ヘッドライト」(原題:Des Gens Sans Importance=”とるに足りない人々”、1956)は、テレビの深夜放送で40年くらい前に見ているが、今回再見して、ジャン・ギャバンの哀感をにじませた演技や、健気な古典的ヒロインを演じたフランソワーズ・アルヌールの好演、哀愁に満ちたメランコリックな主題曲など、これこそフランス映画、という印象を持った。
 
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パリとボルドー間を走る初老のトラック運転手ジャン(ジャン・ギャバン)はこの日、街道筋の“キャラバン”という運転手達の常宿の一室に疲れた身体を横たえるのだが、ふと1年前の出来事に思いを馳せるのだった・・・。
 
”この映画はすべてが回想映画”だった!
 
あの日もこの宿を訪れたジャンは、そこで年若い女中クロチルド(フランソワーズ・アルヌール)と出会い、恋に落ちた。冷たく暗い家庭に嫌気が差していた妻子持ちのジャンにとって、クロチルドは掛け替えのない存在となっていく。
 
こうして新しい人生を歩む決心をするジャンだが、その矢先に職を失い、クロチルドとの連絡を絶ってしまう。クロチルドは妊娠していたが、彼の失業を知るとジャンに心配かけまいと、密かに堕胎医を訪れるのだが・・・(HPより)。
 
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ジャンが長距離トラックの仕事を終えて家に帰っても、妻は不平をいうばかりで、会話も少ない。17歳の年頃の娘と、息子が二人。
 
妻は、アイロンがけなどに精を出して、食事の用意もしないので、ジャンはフランスパンをナイフで切って、バターをつけて食べるという姿もわびしさをにじませる。クリスマス・イブに、通り道の宿に泊まって帰らなかったことから、4、5歳くらいの下の子供は「サンタクロースってウソなの?」という始末。
 
ジャンの実直な性格がよくでていた。
トラックに乗せてもらったクロチルド(愛称はクロ)は、そんなジャンに自然にひかれていく。最初はジャンも「親子ほど違う」というと、クロは「(年の差など)気が付かなかった」だったが、男がやや臆病で、女が積極的でちょうどいい、などと会話していたが、クロが”3分”休憩しようということで車を止めた。
 

 
運転席の暗がりでキスを交わした時に、行き交う車のヘッドライトの明かりで運転席が明るくなったり暗くなったりするシーンが印象的だ。
 
トラック会社は、従業員のトラックの走行距離などを毎日チェックし、休憩時間を取るのもままならない状態。「2時間は何だ?」と担当者に聞かれ、「休憩だ。休まなければ、死んでしまう」とジャン。宿の女中をしているクロと会う時間は、5分であったり、せいぜい15分というのが”習慣”となっていく。
 
またトラックの運転中に、前のトラックがふらふらと進むので、ジャンがヘッドライトを点滅させて、注意を促すシーンもヘッドライトが使われていた。
 
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監督は、この作品がデビュー作のアンリ・ヴェルヌイユ
アンリ・ヴェルヌイユといえば、後に「地下室のメロディー」「シシリアン」などのギャング映画で名を成した。この2作品では、ジャン・ギャバンはギャングの親玉を演じ、共演のアラン・ドロンなどは若造扱いだった。
 
1904年5月17日生まれのギャバンは「ヘッドライト」の時には52歳と、まさに老境に入る前の円熟期にあり、男の哀愁を感じさせたのである。今年生誕110年ということになる(1976年11月15日に72歳で没した)。
 
フランソワーズ・アルヌールは、1950年代から60年代に活躍したが、「ヘッドライト」は、清楚なイメージで魅力的だった。
 
こういう味わのある映画は”美しい十代”?のころ見てもピンとこないし、大人になって見るべき映画だろう。
 
それにしても、ジョセフ・コスマのもの悲しいテーマ曲が、この映画をよりいっそう哀愁に満ちたものにしている。
 
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