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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「ブロードウェイ・メロディー」(1929)

 
ブロードウェイ・メロディー」(原題:Broadway Melody, 1929)を見た。
この映画は、アメリカのミュージカル映画の原点とも言える作品で、世界初の全編トーキーによるミュージカル作品であるとともに、MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)ミュージカルの第1作目である。MGMミュージカルの傑作群は、映画「ザッツ・エンタテイメント」に登場する。
 
第2回アカデミー賞で、トーキー映画として初めて、作品賞を受賞した。
そのほかにも、監督賞と主演女優賞(ベッシー・ラヴ)もノミネートされた。
 
MGMといえば、ミュージカルで輝かしい歴史があるが、全てはこの作品から始まったといってもいいかもしれない。内容は、ミュージカルといってもレビューに近い。
 
アンナ・カレーニナ」「三人の踊子」などのエドモンド・グールディング監督が書下ろしたストーリーをベースにして、サラー・メーソン女史が撮影基本を作り「踊る娘たち」「本町通り」のハリー・ボーモンが監督した。
 
この映画は、業界が驚く程の超大ヒットを記録したという。
 
主役を演ずるのは「踊る娘たち」「世界に告ぐ」のアニタ・ペイジと「情焔の曲」「人類の破滅」のベシー・ラブ(このふたりが姉妹役)、さらにニューヨーク・ミュージカル・コメディー俳優のチャールズ・キングの3人。
 
・・・
2年ぶりでニューヨークに帰って来た歌手のエディ・カーンズ(チャールズ・キング)はザンフィールド一座の新しいレビュー「ブロードウェイ・メロディー」で新作の歌を唄うことになった。
 
彼は恋人のハンク・マホーニー(ベッシー・ラヴ)とその妹のクィニー・マホーニー(アニタ・ペイジ)を招いてザンフィールド一座の舞台に出るように取り計らった。エディは、ハンクと婚約しているにもかかわらず、その妹のクィーニイの美しく成育した姿とその優しい心を見て、ハンク以上に心をひかれてしまう。
 
クィーニイもまたエディを憎からず思っていたが、姉ハンクがエディを真底から想っているのを見て、自分の恋を犠牲にしてでも姉とエディとを一緒にさせようと決心する。
 
そして言い寄られるままに金持ちの御曹司ジャック・ウォリナー(ケネス・トンプソン)という不良紳士と飲み歩いたりした。エディはクィーニイの心にもない振る舞いを黙って見てはいられなかった。折りにふれて、クィーニイを責めたり哀願するなどで、ジャックとの交際を止めさせようとした。
 
姉のハンクはクィーニイの将来を心配していた。
2人にやめるように言われれば言われるほど、クィーニイは怒って心で泣きながらジャックのところへ行くのであった。
 
ある夜、舞台裏でエディはクィーニイがジャックの世話になって立派なアパートに住むとの噂を耳にし、早速姉妹の楽屋に入って行きクィーニイにそのことを責めた。
 
クィーニイはその噂を肯定して出て行こうとした。
エディは悲しんでクィーニイを止めたが彼女は出て行ってしまった。
その時、姉のハングは初めてエディとクィーニイとが互いに愛していながら自分に気兼ねしているのを知った。そしてエディがもし妹を本当に愛しているのなら早く妹を連れて帰って来てくれ、私はあなたと一緒になろうとは思っていない、と言うのだった。
 
エディは初めて救われた気持ちになりクィーニイをジャックの手から連れ戻して来た。2人の幸福そうな様子を見てハンクは涙を笑いにまぎらし、自分のマネージャーになっているバーニー叔父の計らいで別な舞台を求めて1人出てゆくのであった。
 
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のちのミュージカルのような派手な踊りはないが、レビュー(歌とダンスのショー)が見られる。
 
映画の製作された1929年というと、日本では小津安二郎監督の「大学は出たけれど」(1929年)が公開された年で「大学は出たけれど」が流行語となった。大学を出ても職はなく失業者で溢れたという。アメリカでは、ウォール街大暴落があった年でもある。
 
映画はサイレントからトーキーに移る過渡期の時代でもあった。
トーキの時代にあっても、チャップリンは1931年にサイレントにこだわり続け、映画「街の灯」を送り出して大ヒットさせた。「モダンタイムス」が発表されたのはさらに数年後の1936年だった。
 
”映画は世相を映す鏡”であり、映画の製作された時代を切り取っているので、面白い。
 
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