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<span itemprop="headline">「キネマ旬報」表紙に最多登場の女優。</span>



表紙でふりかえるキネマ旬報」(創刊95周年)(2014年11月7日発行)によると、表紙に登場した数では、やはりというべきか、最多登場女優は、12回のオードリー・ヘプバーンだった。

キネマ旬報」の表紙にオードリー・ヘプバーンが初めて登場したのは、キネマ旬報ベスト・テンの第6位「ローマの休日」(1953)が日本公開されて間もない1954年2月下旬号だった。そのときは表紙は「ローマの休日」のものではなかった。




ヘプバーンの最後の登場は、2000年6月上旬号で、「20世紀の人気スター」特集で、ほうがのトップ女優・原節子と洋画トップのオードリー・ヘプバーンが表紙となっている。

ここで、はじめて「ローマの休日」のアン王女に扮したオードリーの写真が使われている。

時代が大きく変わっても、変わらないオードリー映画に夢を求めたのかもしれない。

日本人にとっては、ティファニーはレストランだろうと思っていた時代! のちに、朝食を食べるために日本からティファニーを訪れた観光客もいたようだ。

おっとどっこい、朝食はおろか、食事はできません。



ローマの休日」はモノクロ映画。
この半世紀の間にハリウッド映画も大きく変わった。
スター・システムは消え、テレビとの戦いもあったし、映像はモノクロ・スタンダードからカラー・ワイドへ、さらに3Dも登場。人気のジャンルも観客の好みのスターも変化した。

日本人にとっては、20世紀の最大の女優の一人がオードリー・ヘプバーンであったことは変わらないようだ。

一方、男優といえば、やはり、”ダーバン”のこの男か。
11回登場のアラン・ドロンだ。



太陽がいっぱい」(1960)の大ヒットで、一躍スターになったアラン・ドロンだが、フランスよりも日本での人気が高かったと言われる。特に1970年代の正月の表紙は、ドロンが飾ったようだ。特に愛煙家は、ドロンの真似をしてタバコを吸っていたようだ(笑)。


当時は、ドロン派、ロバート・レッドフォード派かと言われるほどだった。

ブルース・リーも人気では負けなかった。

そんな頃(1974年)、「ダーティ・ハリー2」「燃えよドラゴン」などを追いかけて、銀座・日比谷の映画街を徘徊していた社会人になったばかりの田舎出身の若者もいた。
    (写真:1974年、今は無き「銀座文化」の前で)


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