「王様と私」(1956)は「アンナとシャム王」(1946)のミュージカル・リメイク。
(1960)と並ぶ代表作である。
映画は舞台劇を見るような華やかさがある。
古いしきたりにとらわれた封建的な王様を演じるユル・ブリンナーが、自分より頭を高くしてはいけないと、使用人や、王子や王女にひれ伏すことを強要する徹底ぶり。一方で憎めないところもある。
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1862年、王子や王女の教育係として、シャム王(ユル・ブリンナー)の宮殿にやってきたイギリス人女性アンナ(デボラ・カー)が、封建的で前時代的な王宮に、文化と愛情をもたらしていく様を描く。ブリンナーの個性は強烈で、対するデボラ・カーも上品な美しさと芯の強さを見せつける。
アンナ夫人と息子ルイズ(レックス・トンプソン)を出迎えたのは、首相のクララホーム(マーティン・ベンソン)。アンナは、シャム王が宿舎提供の約束を忘れていることを知り、直談判しようとする。王に意見するなど宮殿では考えられないことで、クララホームは「面白いことになる」と静観の構え。
アンナは王の子女の教育についてティアン妃の援助を受けることになり、タプティムは妃達に英語を教えることになる。アンナはタプティムの恋人がビルマから彼女を連れてきた使者ラン・タと知り、何とか心遣いをしてやった。
アンナは王子、王女らの教育で“家”という言葉を教え、宿舎の提供を怠った王の耳に入れようとする。次代の王、チュラロンコーン王子は、シャムはまるい地球上の小国と言い出し、驚いた王は授業参観に赴くが、タプティムの朗読する“アンクル・トムの小屋”に感激する・・・(HPより)。
シャム王は、テコでも動かず信念を曲げない英国女性のアンナに対して
「You are very difficult woman!」(頑固な女だ)と叫ぶが、この言葉が最後に生きてくる。
シャム王には、見栄を張るところがあり、直接助言はできないという空気がある。
そこで「こういう風にお考えですよね」という言い方で、相手を立てて、「その通り。そう考えていた」といわせるようにするアンナの知的センスも見事。
アンナが考えを発言すると、「ハ!」(ふん、というニュアンス)と小ばかにしたような声を発するが、痛いところを突かれた、もっともだ、という裏返しのような反応である。
アンナが、その他もろもろ、という意味で「エトセトラ」というが、その言葉を気に入ったシャム王は、何度も、得意げに「エトセトラ、エトセトラ」とつぶやくところが面白い。
シャム国(現在のタイ)の王は、妻が複数おり、イギリスからの来訪者から「お子様は何人?」と聞かれて、「晩婚でして、106人だけ。来月5人増えます」というのもすごい。質問者は、目を白黒するしかない。
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シャム王のやり方について行けず、イギリスへの帰国を決心するアンナだったが、王子、王女たちの強い希望て、居残りを決める。それでも、シャム王は、「高い給料、月に25ポンドも払っているのだから、教師の職務に目覚めただけだろう」と悪態をつくのだった。
やがて、病に伏したシャム王も、後継者の王子に王の地位を譲ることになる時が訪れる。チュラロンコーン王子は、アンナからの教育もあって「(王様に宮廷内の誰もが)カエルのようにひれ伏すのは、第一、体にもよくない」と新しい時代に変わりつつあることを予感させた。そうした中で、シャム王は静かに息を引き取った。
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イギリスの政府のお偉方一行を迎えての晩さん会で、なんとも品性を欠く「食え、食え」がシャム王の第一声だった! となりのアンナが、ナプキンの使い方から、目配せして教え、”野蛮人はどちらか”というシャム王に恥をかかせないようにしているところもしっかりしている。
デボラ・カーの歌の声は、マーニー・ニクソンの吹き替えである。
マーニー・ニクソンは、50年代~60年代当時のミュージカルはほとんど吹き替えで歌っている。「王様と私」、「ウエスト・サイト物語」、「マイ・フェア・レディ」などといった、ハリウッドミュージカルを代表する名作の主演女優の歌声をすべて吹き替えている。
リタ・モレノといえば「ウエストサイド物語」で”アメリカ”を歌い、圧倒的な歌唱力と野性味ある演技で、アカデミー賞助演女優賞を受賞したが「王様と私」では、しとやかな娘役で、歌も歌っているが、声ですぐにわかる、という女優だ。
・・・という夢くらい持ってもいいだろう。
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