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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「我等の生涯の最良の年」(1946):アカデミー賞8部門受賞。

 
 
我等の生涯の最良の年」(原題:The Best Years of  Our Lives、1946)は、アカデミー賞で、作品賞、監督賞(ウイリアム・ワイラー)、主演男優賞(フレデリック・マーチ)、助演男優賞(ハロルド・ラッセル)など計8部門を受賞した名作。
 

  
ストーリー:
第二次世界大戦が終わり、出征した3人の男が同じブーンの町に帰ってきた。
中年の銀行員アル(フレデリック・マーチ)を出迎えたのは、妻ミリー(マーナ・ロイ)と、すっかり成長した娘ペギー(テレサ・ライト)、息子ロブだった。
 
かつてソーダ水の売り子をしていたフレッド(ダナ・アンドリュース)を待っていたのは、息子の安否を常に気遣っていた父と母。だが、出征する20日前に結婚した妻マリー(ヴァージニア・メイヨ)の姿はなかった。夫の帰還を待ちきれずに家を出た彼女は、ナイト・クラブで働いているらしい。
 
若い水兵ホーマー(ハロルド・ラッセ)は戦火の中で両肘から先を失っていた。
鉄カギ付きの義手という痛ましい姿に、彼の両親と恋人ウィルマ(キャシー・オドネル)は激しいショックを受ける。
 
3人は社会や家庭で復帰するが、その姿は三者三様であった。
やがてフレッドはアルの娘ペギーと、ホーマーは恋人ウイルマと結ばれるのだった(HPより)。
 

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ホーマー役を演じたハロルド・ラッセルは、戦争で両腕を負傷し、義手で登場するのだが、実際に戦争で両手を失った負傷兵であることを後で知った。
 
映画関係者が、本職の俳優でないラッセルに気を使って演技を教えようとしたところ、それを知ったワイラー監督が激怒したという。ワイラーは、ラッセルに自然なままの姿を求めたのだという。
 
3人の帰還兵のうち、沖縄に行った兵士や、ヨーロッパ戦線に行った兵士がいたが、日本に行った兵士の息子は、広島の原爆の放射能はどうだったかというセリフなどがあった。息子が学校で放射能の恐ろしさなどを学んでいて、父親に伝えるのだが、わからなかった、という返事だった。
 

 
数年間戦地に赴き、終戦直後に帰還した後の仕事探しや、家族関係、ラブストーリーなどがさまざま描かれている。
 
オープニングの空港のシーンで、帰還兵が飛行機の予約がなく、帰還しても足止めをくう横では、金持ちらしき人が、荷物を預けると「重量超過」で、追加料金を支払うのだが、荷物はゴルフセットなどだった。同じころの日本の状況と比べると、生活環境が恵まれていることがわかる。
 

           ペギーを演じたテレサ・ライト(左)
 
正統派の良作といえる作品で、ベテラン俳優・女優に交じって、当時の若手女優のテレサ・ライトキャシー・オドネルのフレッシュさが印象に残る。
 
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配役:
フレデリック・マーチ:アル
マーナ・ロイ:ミリー
ヴァージニア・メイヨ:マリー
ハロルド・ラッセ:ホーマー
キャッシー・オドネル: ウィルマ
 
☆☆☆☆
 「我等の生涯の最良の年」と「わが青春に悔なし」が同じ1946年の作品であり、相次いでみたが、一般的に貧しい日本と裕福なアメリカの当時の社会状況の対比をまざまざと感じさせられた。
 
当時のアメリカの大型スーパーや、車社会、銀行、飲食店、コカ・コーラの看板など、当時の時代を知るにも面白い。戦争で使用した航空機の処分では、鉄屑にするのではなく、プレハブの建築用に利用するという話も出でていた。
 
 
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