「カルメン純情す」(1952)を見た。
「カルメン故郷に帰る」(1951)の大ヒットを受けて製作された続編である。
レンタルチェーン(ツタヤ、ゲオなど2,000店)で「昭和キネマ横丁」というコーナーがあり「懐かしの邦画」のDVDが並んでいる。
レンタルチェーン(ツタヤ、ゲオなど2,000店)で「昭和キネマ横丁」というコーナーがあり「懐かしの邦画」のDVDが並んでいる。
邦画5社が協力し、ラインアップ(5社x30作品=150本)がそろっている。先日見た「ぼんち」も、”横丁”の1本で、今回の「カルメン純情す」も含まれている。
「カルメン故郷に帰る」は、テレビ放映で以前見ているが、日本初の総天然色映画だった。大自然を背景にした田舎を舞台にした、おおらかでほのぼのしたコメディ映画だったが「カルメン純情す」は、一転して、舞台を都会に移し、ぎすぎすした人間模様、とくに人間の強欲さと、苦痛にあえぐ人々を皮肉たっぷりに描いている。
1時間40分の映画だが、その8割程度の画面が、まるで沈みかけたポセイドン号(「ポセイドン・アドベンチャー」)かタイタニック号のように斜めになっている。 坂道でなく画面がななめ→
普通の画面だったのが徐々に斜めになったり、この徹底ぶりが凄い。画面をゆっくり揺らしながら登場する奇妙なアートや音楽も印象的だ。
浅草に戻り「踊り子」としての仕事を再開したカルメン(高峰秀子)の元に、赤ん坊を抱いた朱実(小林 トシ子)が転がり込んでくる。生活が苦しい朱実とカルメンは赤ん坊を資産家の元に置き去りにするが、思い直しその場に戻った。
そこで赤ん坊を預かっていた前衛芸術家の男、須藤一(若原雅夫)と出会う。その後、アトリエに招かれたカルメンはその芸術?に感動しヌードモデルを引き受けた。
しかし、須藤は女癖が悪く家の財産を使い果たしてしまうようなダメ男で、しかも土地目当てに千鳥(淡島千景)という女と婚約していた。そんな中、須藤は千鳥の母で政治家を目指す熊子夫人(三好栄子)から「おなごのための講演会」に呼ばれるのだが・・・。
セリフも、あんちきしょう、こんちくしょう、あのやろう、ババア、ジジイなどすべて女性がしゃべっている言葉が乱暴で、選挙の演説での言葉も「市民には、なんでも安くするといっておけばいいんだよ」などといういい加減さ。
熊子は、娘の千鳥と婚約者を連れてストリップを見に行く。
そのわけは、「どんな女がストリッパーになっているのか、どんな野郎(男)が、見に来ているのか勉強するため」(熊子)。舞台には、カルメンがいたのだが、舞台で、スカートがはがされるが、それだけでカーテンが降りると、熊子は「いつ素っ裸になるんだよ」と怒鳴る始末。須藤一は「もうじきですよ」。
・・・
タイトルの「純情す」は、一度はカルメンの踊り子ストリッパーになり生きようと決めたが、むなしさを覚え「恋も人生も捨ててきたんだから、芸術に生きる」として、「世の中の荒波と闘うんだ」と新たな将来を見出していくところで終わる。
最後に「カルメンはどんな方向に向かうのか?」と字幕がでて、第二部 終わり」
となって、どうも尻切れトンボになっている印象はまぬかれない。
かつての「007」シリーズなどでは、「次はXXXで」といった言葉があったが、映画製作の時代が混乱していたのか、中途半端な終わり方であった。
高峰秀子は、ちゃきちゃきで蓮っ葉な役どころが、とにかくうまい。
「二十四の瞳」の先生役とは180度違い、同じ人物とは思えないほど。
1950年代の邦画も面白い。
☆☆☆
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