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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">昔懐かしい「紙芝居」が大宮駅前で。</span>

 
きょう、大宮駅に向かっていると、駅前通りが歩行者天国になっていた。
珍しいことに、年配のおばちゃんが紙芝居の準備をしていた。
 


             親子連れで紙芝居に見入る光景も。
 
インターネット、iPadタブレットの時代に、懐かしいアナログの世界。
 
しかし、テレビが一般家庭に普及する昭和30年代半ばから後半くらいまでは、紙芝居などが中心だった。時代とともに紙芝居も無くなり、金魚売り、豆腐売り、富山の薬売り、飲み屋の「流し」の歌い手などもいなくなった。
 
都会では、まだ「石焼きイモ~♪」の軽トラックの声は聞こえるが。
 
昭和30年代半ばくらいまでは、「自転車紙芝居」というのがあって、おっさんが自転車で集会所などの前にやってきて、「水飴」(5円か10円)を買った子供にだけ紙芝居を見せるという行商のような光景が見られた。お金のない子供は、遠くのほうから眺めていたようだ。
 

              昭和30年代初めのころ。

                    紙芝居風景のイメージ。
 
幼稚園か小学校の低学年の頃、家に帰ると、紙芝居見たさに、「ただいま」というより早く、小学校のカバンを放り投げて「5円か10円くんない(=くださいの方言)」と親にせがんだものだった。
 
紙芝居が来ているときは、近所の子供たちとそこに駆けつけ、「水飴」を買い紙芝居を見た。紙芝居のおじさんがいないときは、近くの駄菓子屋に行って「鉄砲玉」(黒砂糖を煮詰めて作った飴玉(あめだま)」か「かりんとう」などを5円で買った。
 
子供たちの遊びといえば、テレビのある家に「月光仮面」や「力道山のプロレス」を見に行ったり、ビー玉、ベーゴマ、メンコ(出身地・現在の深谷市などの埼玉県北部地方では、メンチ)遊びが中心だった。月光仮面の扮装をしたり、おもちゃの鉄砲、マント(風呂敷!)、安もののサングラスのようなめがねをかけて、テレビのまねをしていた。
 

 

「ベーゴマ」は、相手の駒にぶつけて相手の駒を丸い台の上から外に追い出せば勝ちで相手の駒をゲットできるので真剣だった(笑)。     ベーゴマ風景→
 
夏といえば、近くの川で「魚獲り」(釣りでなく、四角い網で)のほか、泳いだものだった。セミ、トンボ、昆虫集めもよくやった。小学校も高学年になると、地域の公民館の庭のようなところで、野球遊びをした。野球といっても、数人で、守備とピッチャーとバッターを交互に交代して、塁まで走るだけだったが。
 
都会の「アスファルト・ジャングル」ではこうはいかない。
畑で野菜や果物を作ったりという経験がないのではないかと思うが、田舎では、イチゴ、きゅうり、トマト、ナス、柿、ビワ、ザクロ、イチジクなどを作って、よく食べた。
 
紙芝居を見て、50年以上前にタイムスリップして「バック・ツー・ザ・ヒューチャー」した気分だった。
 
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