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<span itemprop="headline">映画「市民ケーン」(1941、日本公開1966)</span>


市民ケーン」(Citizen Kane、1941)予告編 trailer
 

 
映画「市民ケーン」は、1941年に製作されて、アメリカでは、アカデミー賞にノミネートされるなど、映画史に残る傑作と最大級の評価を得ていたが、日本での公開はなんと四半世紀も経た1966年だった(TVでは、1961年に放送されたようだ)。
 
これまでにTV、ビデオなどで何回か見る機会があったが、いずれも途中でギブアップだったが、今回、ブログ友のジーナさんの「気合と根性」で、今更ながらだが、DVDで見た。(以前、VHSビデオテープを持っていたが、字幕無しだったので、面倒だった!)。
 

このガラクタの「遺品」のなかに、ケーンの死ぬ間際に発した言葉の意味があった・・・。
 
オーソン・ウエルズが当時25歳で、主演・監督を務めた、ワンマン映画だ。
オーソン・ウエルズの映画人生の「不幸」が始まったきっかけとなった作品といえそうだ。実在した新聞王を題材にした映画で、あらゆる妨害も受けた作品で、その後の映画出演にも影響があったようだ。
 
第三の男」などで、存在感を示したが、晩年は、怪優として、活路を見出した。日本では、ウイスキーのCMや、英語の教材の朗読などで亡くなった後も、知られていた。
 
新聞王国を築いたケーンオーソン・ウエルズ)だったが、その実像は孤独で、人からは愛されなかったということが分かる。新聞王ケーンが、“バラのつぼみ”という謎の言葉を残して死んだ。新聞記者のトンプソンは、その言葉の意味を求めて、生前のケーンを知る人物にあたるが・・・。
 

 
様々な人物の証言から、新聞界に君臨した男の実像が浮かび上がる、斬新な構成と演出で評判を呼んだようだ。決して時代の動乱に翻弄された訳でもなく、運にも才気にも恵まれ、望む物全て手に入れることが出来たはずなのに、虚無に囚われたまま、結局、何一つ得ることのできなかった哀れな男の生涯人生を誤った敗北者の虚しい姿が、ラストで明かされる“バラのつぼみ”の正体によって、観る者の胸をえぐるが如く、赤裸々に浮かび上がる(HPより)。
 

  演説するケーンも背景の大きな写真も焦点が合っている。
 
画面全体が、前面も後ろの壁面もフォーカスが合っているという手法が話題となった。この映画が、映画ベスト100などで、常に上位(1位というのが多い)というのだが、いまひとつ分からない・・・。「市民fpdには理解できない?」(笑)。
 
それにしても、25歳で60代のような風貌の役を演じた早熟な天才ぶりには驚かざるを得ない。
 
 
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