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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「Always 三丁目の夕日」(再見)</span>


映画「ALWAYS 三丁目の夕日'64」予告編
 

 
「Always 三丁目の夕日」(2005)は、2005年の劇場公開で見ているが、昨日TV放映があり再見した。
 
何度見ても、同じシーン(3か所!)で、胸が詰まるように泣かされそうになる(笑)。
昭和33年(1958年)の東京下町を舞台とし、夕日町三丁目に暮らす人々の暖かな交流を描くドラマ。当時の港区愛宕町界隈を想定しているという。今の西新橋のあのあたりか。
 

 
建設中の東京タワー上野駅蒸気機関車C62東京都電など当時の東京の街並みをミニチュアとVFXCG)で再現した点が特徴である。昭和30年代の小学生のころ、田舎から東京に両親と出かけたことがあったが、都電がまだ走っていた。あれは大宮敏光(デン助劇場)の舞台の見学だった。都内には父親の兄弟などが文京区駒込に住んでいて、訪問したことがある。
 
fpdが6,7歳くらいだったろうか、山手線で、両親と妹の家族4人で上野のホームから電車に乗るのに、fpdだけ乗り遅れてしまった。電車はドアが閉まっていってしまう。取り残されたfpdは、子供ながら、困ってべそをかいていただろう。同じ位置から
次の電車に乗った。次の駅のホームで、家族は待っていた。チームプレイ(爆)。今なら携帯電話で、連絡は出来たろう。携帯のない時代が当たり前。それでもなんとかなった。
 
映画に出てくる、三丁目の住宅、商店、街並みは全てセットでよく再現されている。
テレビのエピソードはあのままだ。テレビがわが家に来るとわかった日には、小学校から、一目散で走って帰ってきた。あの三丁目の子供たちと全く同じだった。
 
フラフープ、だっこちゃん、ベーゴマなどが流行っていた。
 

   テレビにくぎ付けになる三丁目の人たち

 
TVでは、力道山の空手チョップだ(写真)。
外国の覆面レスラーを、空手で倒していく強さに熱狂した。
 
野球では、ミスター長嶋がデビューを果たしたころだ。
皇太子(現在の天皇)の結婚パレードは、ミッチー・ブーム(美智子妃)を生んだ。
 
この映画の監督、製作者は、この当時まだ生まれていなかったという。
時代考証で、電化製品、車などは当時のモノを集めたという。三丁目の家、風景はセット。昭和の匂いがあふれている。
 
この映画が公開された2005年の興行では、公開1週目と2週目に興行首位を記録。200万人超を動員した。全国200館を越える映画館で上映延長が決定し、年越しロングラン上映となった。
 
日本アカデミー賞の最優秀賞発表では、13部門の内12部門で最優秀賞を獲得した。2007年11月3日に「Always 続・三丁目の夕日」が公開された。
 
2006年12月1日には早くも「金曜ロードショーで地上波初放送し、22.5%の高視聴率を記録した。また2007年11月2日にも、続編の公開前日特番として同枠で2回目の放送を行い、こちらも20.8%という高視聴率をマークした。今回は、第3作目の「Always 三丁目の夕日 '64」の公開(1月21日、全国ロードショー)の特番として、「続編」(1月20日TV放送)と合わせて放送されることになったもの。
 

 
受賞記録
 
東京の下町、夕日町三丁目にある鈴木オート。そこにC62蒸気機関車に乗って青森から集団就職で六子(むつこ)がやってくる。六(ろく)ちゃんと親しまれるが、実は大企業に就職できるかと期待していた六子は小さくて古臭い下町工場の鈴木オートに内心がっかりしていた。その向かいにある駄菓子屋「茶川商店」の主人・茶川竜之介は小説家。茶川は居酒屋「やまふじ」の美人店主・石崎ヒロミから見ず知らずの子供・古行淳之介を酔った勢いで預かってしまう。帰すに帰せず、二人の共同生活が始まる・・・。
 
このシリーズ、尻つぼみにならずに、毎回期待通りの作品になっているようだ。
 
以前の紹介記事:(第1作)http://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/27510942.html
                http://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/24014259.html
 
 
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