「東京暮色」(1957)は、絶えず家族を題材に描き続けた名匠・小津安二郎監督の作品。本作では、母に家出されたとある一家の悲劇を痛切極まりないタッチで描写。
小津監督の作品群の中でも暗さが際立つ異色作となっている。二人の娘を残して母が去り、父親と二人の娘の家庭の物語。
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銀行で監査役として働く杉山周吉(笠智衆)は次女の明子(有馬稲子)と二人暮らし。しかし長女の孝子(原節子)は夫で評論家の沼田康雄(信欣三)との折り合いが悪く、幼い娘を連れて実家に戻っている。
明子は英文速記の学生で、遊び人の川口(高橋貞二)など素性の良くないグループととつきあうようになり、その中の一人である木村(田浦正巳)と関係を持ち、密かに彼の子を身籠っていた。
中絶費用を手に入れるため、明子は叔母の重子(杉村春子)にお金を借りようとするが断られ、重子からこれを聞いた周吉はいぶかしく思うが、明子は誰にも本当のことを言おうとしない。
明子は木村に相談するが、この木村という男には、まったく誠意が見られず、困ったというばかりで、その後、木村は明子を避けるようになる。
明子は、グループのメンバーがしばしば利用している雀荘の女主人、喜久子(山田五十鈴)が自分のことを尋ねていたと聞き、彼女こそ自分の母ではないかと疑うようになる。
母はかつて周吉が京城(ソウル)に赴任していたときに周吉の部下と深い仲になり、失跡していたのだった。
ある日、重子が茂吉と孝子を訪れ、街で偶然喜久子と出会って近況を聞いたと告げる。孝子は雀荘を訪れて喜久子に会い、喜久子が母親であることを明子には言わないでほしいと頼む。
明子は周吉の友人に嘘をついて借りた金で中絶手術を受けた後、喜久子がやはり母親だったことを知る。
自分が本当に父の子なのかを疑っている明子はそのことを母に質す。母はあなたは本当に私たちの子だと言うが明子の疑いは晴れない。
すべてに絶望した明子は自殺を企て、踏切で列車に飛び込む。病院のベッドでは「死にたくない」と繰り返した明子だったがまもなく死んでしまう。数日後、喪服姿の孝子が雀荘を訪れ、喜久子に明子の死を告げる。
その後、孝子はもう一度生活をやり直そうと夫のもとへ戻る決心をする。一方喜久子は東京から離れるため、共に雀荘を経営していた中年男、相島(中村伸郎)の誘いに乗って室蘭へと移転してゆく。
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本作が後味の悪い印象を持つのはストーリの展開だけでなく、登場する男たちの持つ印象が悪いことにもある。
まず憲二は明子を妊娠させておきながら、明子の気持ちを想像しようともせずに自分の都合ばかり話し、明子からは意図的に逃げている。
雀荘で淡々とした語り口で事の顛末を解説する川口登(高橋貞二)にもいやらしさがある。上から目線で他人の不幸をネタにして語っている。
また周吉が会いにいく孝子の夫、沼田康雄も一般的な親子の愛情については流暢に語るが、孝子の話題になると歯切れが悪くなって意図的に話題を逸らし、孝子の出ていった理由に自覚があるのに何もしていない様子が伝わってくる。
喜久子の連れあいの相島栄(中村伸郎)にしても「ひとりじゃ寝られないよ」と室蘭行きを懇願する様子が情けない。
登場人物がみな相手の気持ちをまったく理解していないといった自分中心の世界。重い映画であっても、最後は何もなかったかのような日常に戻り、かすかに救いはある。
小津映画の顔というべき原節子、笠智衆に加え、昭和の大女優・山田五十鈴が、小津作品に唯一参加。やはり小津作品に初参加した有馬稲子の暗い表情が何より印象的。
品川区五反田の雀荘などが背景に描かれて興味深い。杉山周吉(笠智衆)が、暇な時間にパチンコ店に行くが、1950年代は、まだ手動式で、椅子もなく、立ったまま玉を一個づつ入れて手動でバネスイッチをパチンとする方式。ぎりぎりそんな時代も知っている…笑。