「野菊の如き君なりき」(1955)を見た。初見。
笠智衆演じる老人が詠む俳句が印象的で、回想シーンだけが画面が楕円形にくりぬかれるという斬新なスタイルが印象的。1955年度キネマ旬報ベスト・テン第3位。監督・脚色: 木下惠介。撮影: 楠田浩之、音楽: 木下忠司。
公開当時は「美しい信州の自然を背景に身分の違いゆえにむなしく散った少年と年上の少女との清らかな恋」「15歳の少年と2つ年上の娘の悲恋物語 忘れられぬ純愛映画」「封建制と世間体に縛られてもがき苦しむ二つの純な魂をモノクロの映像美と哀切な音楽が包み込む」といったキャッチコピーだったようだ。
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男の名は斎藤政夫(笠智衆)という。政夫を知る船頭(松本克平)と政夫が話をしている。「生まれた時は親だの兄弟だのと言ってみても、いずれは別れ別れになるのがこの世の定めです」「儚いもんですなあ。生きてるうちは泣いたり笑ったり、いろんな苦労を散々して」「しまいはどうでもこうでもお墓に入らにゃならん。金持ちも貧乏人もみんな同じや」。
老人政夫は「老い先短い年寄りには昔の夢しか残っていない」と言い、詠う。「世にありき一度(ひとたび)逢いし君と云へど吾が胸のとに君は消えずも」そうして彼は語り始める、忘れる事のできない少年の日の遠い思い出を・・・。
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時代は明治で、奉公人(お手伝いさん)もいる名家で大家族が暮らす斎藤家。
まもなく中学に行くことになる15歳の少年・政夫にとって、幼い時から仲の良い2つ年上のいとこの民子と一緒にいる時が一番充実して楽しかった。
小さい子供の頃は仲良く遊んでいても世間は気にしないが、年頃ともなると、とかく
”つまらない”うわさ話をするようになる。外では、二人が一緒に歩いていると「今、評判のおふたりさんだね」「きょうは御夫婦で、民さん、いやに見せつけるね」などとからかわれる。
外だけでなく、家の中でも、政夫の兄・栄造(田村高廣)の妻・お増(小林トシ子)は、女の嫉妬かやきもちからか「いつも二人で張り付いて」と民子に辛く当たる。家の中で、村の人がいろいろな冗談を言っていると、だんだんふたりの間を避けさせようという空気も出てくる。
二人で野原を歩いていると、野菊が目にとまった。
「私ほんとうに野菊が好き」
「僕はもとから野菊がだい好き」
「私なんでも野菊の生れ返りよ」
「道理で民さんは野菊のような人だ」
「政夫さん、どうして(私が野菊のような)?政夫さんも野菊が好きだって?」というと、民子は考え込んだ沈んだ表情になる。「なにを考えているの」と政夫が聞くと「何も考えてないわ。考えると情けなくなるわ。どうして政夫さんより歳が多いんでしょう。」「再来年になればぼくだって17さ。元気をお出しよ。」「政夫さんはりんどうのようなものね」「民さんが野菊で僕はりんどうか」といった会話が続く。
家では小姑のお増(ます)が目を光らせている。お増は政夫の母(杉村春子)に「(民子は)政夫と結婚すると田畑も分けてもらえると思っている。母(姑)さんによく思われているのを知っている」と告げ口を言うのだ。
民子を政夫から引き離すために、民子に縁談が持ち上がる。
民子の心は政夫にあったが、政夫の母の説得もあって、縁談を受けることにした。
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中学校に入った政夫に電報が届く。「スグカエレハハ」。
政夫の母は寝ていたが、政夫に「聞いているか?」というので「(民子が結婚したことは)知っている」と答えたが、兄夫婦たちと食事をすると、兄から想像もしなかった事実を聞かされるのだった・・・。
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先般のこのブログでの「オールタイム日本映画」投票で、徳さんが”号泣必至の生涯ベスト・ワン”映画に押していたのが「野菊の如き君なりき」だった。ぜひ見たいとコメントしたところ、徳さんがDVDを送ってきてくれたのだった。純愛ラブストーリーの原点のような作品で、なかなか素晴らしい作品だった。
様々な詩が登場するが、中でも「世のなかに光も立てず星屑の 落ちては消ゆる あはれ星屑」はとくに印象的だった。「生まれた時は親や兄弟といっても、やがて別れ離れ離れになる」「いずれは墓に入らねばならん。カネ持ちも貧乏も同じだ」と言ったセリフは、今でも十分に通用する人生の無常、はかなさだ。意地の悪い、うるさいおかみさん役などが多い杉村春子が、思いやりのある母親役でまたまた名演を見せている。
■主な出演者:
政夫:田中晋二
民子:有田紀子
お増(栄造の妻):小林トシ子
民子の姉:雪代敬子
さだ:山本和子
庄さん:小林十九二
民子の母:本橋和子
民子の父:高木信夫
■監督・脚色: 木下惠介
■原作:伊藤左千夫
■撮影: 楠田浩之
■音楽: 木下忠司
■モノクロ、92分
■配給:松竹
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