「ラスト・ショー」「ペーパー・ムーン」などのピーター・ボグダノビッチ監督が、米ロサンゼルスの自宅で死去した。82歳だった。米バラエティが報じた。またひとり名監督が亡くなった。
父はセルビア人のピアニスト、母はオーストリア人の画家で、米ニューヨークで育ったボグダノビッチは、幼年期から映画鑑賞に没頭。
マーロン・ブランドやロバート・デ・ニーロなどの名優を育てた演技指導者であるステラ・アドラーのもとで演技を学び、映画ジャーナリストとしてキャリアをスタート。
ロジャー・コーマン監督の「ワイルド・エンジェル」(1966)の脚本に参加し映画界入り。「殺人者はライフルを持っている!」(原題:Targets、1968)で映画監督デビュー。
「ラスト・ショー」(原題:The Last Picture Show、1971)では、モノクロ映像が印象的で、閉館していく名画座と若者たちの人間模様を描いた。
「おかしなおかしな大追跡」(原題:What’s Up, Doc?、1972)は、ライアン・オニールとバーブラ・ストライサンドの掛け合いが絶妙のスラプスティック・コメディ(ドタバタ喜劇)が話題となった。
「ペーパー・ムーン」(原題:Paper Moon, 1973)ではライアン・オニールと娘のテイタム・オニールが親子で共演。テイタム・オニールは当時最年少(10歳)でアカデミー助演女優賞を受賞し、親を食う程の名演を残した。
このように1970年代前半に傑作を連発し、若き天才監督としてもてはやされた。
しかし、その後はヒットに恵まれず「ニューヨークの恋人たち」(原題:They All Laughed, 1981)は、1980年の撮影中に交際をはじめた女優のドロシー・ストラットンが夫に殺害されるなど、私生活でも注目を集めた。
後年は役者としても活躍。米傑作ドラマ「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」へのレギュラー出演や「キル・ビル」のDJ役などで強い印象を残している。
ご冥福をお祈りいたします。
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