「奇跡の人」(原題:The Miracle Worker、1962)を再見した。モノクロ、106分。
あまりにも有名な映画で、初見は遠いはるか昔だが、三重苦のヘレン・ケラーに忍耐強く厳しくも人間的な教育を授けていったアニー・サリヴァンの熱意と執念にはいま見ても揺さぶられる。製作費は50万ドル(当時の換算レート360円/ドルで1億8,000万円)と低予算だった。
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暴れるヘレンと格闘するサリヴァン先生。
手でアルファベットを綴る方法、行儀の躾け、だがヘレンのそれは強制の結果でしかないことに気づき、深刻な懐疑に包まれた。
ただ、何かを求めて成長しようとするヘレンの気持ちに支えられ、夫妻に自分とヘレンの2人だけにしてくれるよう頼み、肉親の同情と燐憫の生涯を説いた。
先生の顔を手でなぞり、同じ表情をするヘレン。
2週間、アニーは与えられた猶予に全力を尽くした。
森の中の小屋。アニーを嫌うヘレンもやがて慣れ、食事、散歩、手の綴りも上手くなった。2週間は過ぎ、あと1週間をケラー氏(ヴィクター・ジョリー)に頼んだが、家に連れ帰ってしまった。
家に帰った少女を再び甘やかすに違いない肉親たちを前に、アニーは自分の無力感をかみしめた。夕食の帰宅祝の席、家に帰ったことを知ったヘレンは2人だけの生活の時とは逆にあえて手掴みで食べ、水差しを倒す。
家族たちの反応を探ろうとする少女の本能的な計算がそこに感じられ、今日は特別とひきとめる母親(インガ・スウェンスン)をふりきってヘレンを井戸に引きずり出し、こぼした水を水差しに汲ませた。
水の感触で思い出す・・・ヘレン。
井戸の冷たい水、それがヘレンをとりまくカベを破った。生後6ヵ月で「水」(ウァ~)を知り、まわらぬ舌で発音さえしたヘレンの記憶がいまここで甦ったのだ。理性の光が“理解”するという形で少女に初めてさし込んだ(MovieWalker一部加筆)。
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両親の甘やかしの接し方に反対し、あえて目の見える人と同じに、あるときは格闘して、突き放すように厳しく接するサリヴァン。「そこまでするのが果たして正しいのか。本人のためなのか」と疑問すら抱かせるが、サリヴァン自身の子供時代の苦しい経験もあって、やがてそのやり方で、光が「見えてくる」ラストは感動的だ。
映画のオープニングで、ケラー家に赤ん坊が生まれた時に、母親がその子供は「目が見えていない!」「声も聞こえていない!」と知った時の驚愕と絶望の叫びは強烈だった。ヘレンは、食卓では、テーブルの上をかき乱し、食事は手で手当たり次第に口に運ぶだけ。不満があると手をばたつかせる。父親は仕事にならず、母親にとっては、ヘレンが毎日どこかか遠くへ行ってしまうような寂しさと苦悩。
サリヴァン自身が、幼い頃から目が不自由で、通常は問題ないが、光に対してだけ抵抗があることから、日頃はサングラスをしている。
悲痛で苦しい映画ではあるが、サリヴァンも語っていたように、命令に従属する”猿真似”ではダメで、物事の道理、言葉を教えることで、ヘレンもサリヴァンもともに人間的に成長していく姿が描かれている。サリヴァンの無謀とも思える教育方針に反対していたヘレンの両親も、最後には理解し、サリヴァンに感謝するのだ。
■監督作品:(鑑賞=8本)
「奇跡の人」The Miracle Worker(1962) 監督 ☆☆☆☆
「逃亡地帯」The Chase(1966) 監督 ☆☆☆
「アリスのレストラン」Alice's Restaurant(1969) 監督・脚本 ☆☆☆
「ナイトムーブス」Night Moves(1975) 監督 ★★
「フォー・フレンズ/4つの青春」Four Friends(1981) 監督・製作
「ターゲット」Target(1985) 監督
「冬の嵐」Dead of Winter(1987) 監督
「ペン&テラーの 死ぬのはボクらだ!?」Penn & Teller Get Killed(1989) 監督・製作
「愛のポートレイト/旅立ちの季節」The Portrait(1993) テレビ映画、監督
「キング・オブ・フィルム/巨匠たちの60秒」Lumière et compagnie(1995) 監督
「Inside」(1996)
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アン・バンクロフト(1931年9月17日 - 2005年6月6日)は1958年にヘンリー・フォンダ主演の舞台「Two for the Seesaw」に出演し、トニー賞助演女優賞を受賞。1959年に戯曲「奇跡の人」でタイトルロール、アン・サリバン役を演じて評判となり、1960年、2度目のトニー賞を受賞。1962年に「奇跡の人」が映画化され、1962年のアカデミー主演女優賞を受賞した。
アン・バンクロフトを一躍有名にしたのは「卒業」(1967)で、娘エレン(キャサリン・ロス)の恋人ベン(ダスティン・ホフマン)を誘惑するミセス・ロビンソン役だろう。ほかに「ヒンデンブルグ」(1975)「リップスティック」(1976)「愛と喝采の日々」(1977)などがある。
パティー・デューク(1946年12月14日 - 2016年3月29日)は、1959年からブロードウェイで、舞台「奇跡の人」に立ち、この舞台はヒットし、なんと2年間ヘレン・ケラーを演じた。この舞台は1962年に映画化され、アカデミー助演女優賞を受賞。このときパティは16歳だった。
1979年にはリメイク版「奇跡の人」ではサリバン先生役で出演した。
日本では、「パティ・デューク・ショー」が1964年から1966年にかけてTBSで放映され、人気を博した。2年前に69歳で亡くなった。
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