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<span itemprop="headline">映画「ビルマの竪琴」(1956)</span>




映画「ビルマの竪琴」(1956)をようやく見た。
ようやくというのは、この映画については、公開された頃は小学校入学前で、その後もタイトルは有名でアタマにあったが、内容が固い印象で、テレビ放送なども見逃してきた。市川崑監督のセルフリメイクの中井貴一主演の「ビルマの竪琴」(1985)は未見。


オリジナルの「ビルマに竪琴」の主人公・水島上等兵を演じているのが安井昌二で、安井昌二とその実の家族(妻:小田切みき、娘:四方晴美)によるテレビ番組「チャコちゃん」シリーズ(1962~1969)を見ていたので、”安井昌二といえばビルマの竪琴”と染み付いていたのだ。

それはともかく、第二次対戦でビルマ(現・ミャンマー)に出征していた日本兵の小隊が、戦争終結で帰国命令が下る中で、水島上等兵安井昌二)だけが、僧侶としてビルマに骨を埋める覚悟で残る、という話だが、かなり奥の深いストーリーではある。

映画はある人物のナレーションによる回想で語られていくが、その人物が、意外な人物だったという最後の展開が待っている。



・・・
1945年7月、ビルマ(現在のミャンマー)における日本軍の戦況は悪化の一途をたどっていた。物資や弾薬、食料は不足し、連合軍の猛攻になす術が無かった。

そんな折、日本軍のある小隊では、音楽学校出身の井上隊長(三國連太郎が隊員に合唱を教え込んでいた。隊員達は歌うことによって隊の規律を維持し、辛い行軍の中も慰労し合い、さらなる団結力を高めていた。

彼ら隊員の中でも水島上等兵安井昌二)は特に楽才に優れ、ビルマ伝統の竪琴サウン・ガウ」の演奏はお手の物。部隊内でたびたび演奏を行い、隊員の人気の的だった。さらに水島はビルマの扮装もうまく、その姿で斥候(せっこう)に出ては、状況を竪琴(たてごと)による音楽暗号で小隊に知らせていた。

ある夜、小隊は宿営した村落で印英軍に包囲され、敵を油断させるために「埴生の宿」を合唱しながら戦闘準備を整える。小隊が突撃しようとしたそのとき、敵が英語で「埴生の宿」を歌い始めたのだ。両軍は戦わないまま相まみえ、小隊は敗戦の事実を知らされる。降伏した小隊はムドンの捕虜収容所に送られ、労働の日々を送ることになる。

しかし、山奥の「三角山」と呼ばれる地方では降伏を潔しとしない日本軍がいまだに戦闘を続けており、彼らの全滅は時間の問題だった。彼らを助けたい隊長はイギリス軍と交渉し、降伏説得の使者として、竪琴を携えた水島が赴くことになる。しかし、彼はそのまま消息を絶ってしまった。

収容所の鉄条網の中、隊員たちは水島の安否を気遣っていた。
そんな彼らの前に、水島によく似た上座仏教の僧が現れる。彼は、肩に青いインコを留らせていた。隊員は思わずその僧を呼び止めたが、僧は一言も返さず、逃げるように歩み去る。



大体の事情を推察した隊長は、親しくしている物売りの老婆(北林谷栄)から、一羽のインコを譲り受ける。そのインコは、例の僧が肩に乗せていたインコの弟に当たる鳥だった。

隊員たちはインコに「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ」と日本語を覚えこませる。数日後、隊が森の中で合唱していると、涅槃仏の胎内から竪琴の音が聞こえてきた。

それは、まぎれもなく水島が奏でる旋律だった。隊員達は我を忘れ、大仏の体内につながる鉄扉を開けようとするが、固く閉ざされた扉はついに開かない。

やがて小隊は3日後に日本へ帰国することが決まった。
隊員達は、例の青年僧が水島ではないかという思いを捨てきれず、彼を引き連れて帰ろうと毎日合唱した。

歌う小隊は収容所の名物となり、柵の外から合唱に聞き惚れる現地人も増えたが、青年僧は現れない。隊長は、日本語を覚えこませたインコを青年僧に渡してくれるように物売りの老婆に頼む。



出発前日、青年僧が皆の前に姿を現した。
収容所の柵ごしに隊員達は「埴生の宿」を合唱する。ついに青年僧はこらえ切れなくなったように竪琴を合唱に合わせてかき鳴らす。

彼はやはり水島上等兵だったのだ。
隊員達は一緒に日本へ帰ろうと必死に呼びかけた。しかし彼は黙ってうなだれ、「仰げば尊しを弾く。日本人の多くが慣れ親しんだその歌詞に「今こそ別れめ!(=今こそ(ここで)別れよう!)いざ、さらば。」と詠う別れのセレモニーのメロディーに心打たれる隊員達を後に、水島は森の中へ去って行った。

翌日、帰国の途につく小隊のもとに、1羽のインコと封書が届く。
そこには、水島が降伏への説得に向かってからの出来事が、克明に書き綴られていた。

水島は三角山に分け入り、立てこもる友軍を説得するも、結局その部隊は玉砕の道を選ぶ。戦闘に巻き込まれて傷ついた水島は崖から転げ落ち、通りかかった原住民に助けられる。ところが、実は彼らは人食い人種だった。彼らは水島を村に連れ帰り、太らせてから儀式の人身御供として捧げるべく、毎日ご馳走を食べさせる。

最初は村人の親切さに喜んでいた水島だったが、事情を悟って愕然とする。
やがて祭りの日がやってきた。盛大な焚火が熾され、縛られた水島は火炙りにされる。ところが、不意に強い風が起こり、村人が崇拝する精霊ナッの祀られた木が激しくざわめきだす。

「ナッ」のたたりを恐れ、慄く村人達。水島上等兵はとっさに竪琴を手に取り、精霊を鎮めるような曲を弾き始めた。やがて風も自然と収まり、村人は「精霊の怒りを鎮める水島の神通力」に感心する。そして生贄の儀式を中断し、水島に僧衣と、位の高い僧しか持つことができない腕輪を贈り、盛大に送り出してくれた。

ビルマ僧の姿でムドンを目指す水島が道々で目にするのは、無数の日本兵の死体だった。葬るものとておらず、無残に朽ち果て、蟻がたかり、が涌く遺体の山。

衝撃を受けた水島は、英霊を葬らずに自分だけ帰国することが申し訳なく、この地に留まろうと決心する。そして、水島は出家し、本物の僧侶となったのだった。




小隊が船で日本に帰国する途上で、水島からの手紙は読まれた。そこには、祖国や懐かしい隊員たちへの惜別の想いと共に、ビルマにとどまらなければならない強く静かな決意で結ばれていた。

手紙に感涙を注ぐ隊員たちの上で、インコは「アア、ヤッパリジブンハ、カエルワケニハイカナイ」と叫ぶのだった。

・・・
安井昌二が水島上等兵をストイックに演じている。水島上等兵からみた、戦争による日本兵の死骸の山は目を覆うものがあり、これらを残して日本に帰るわけには行かないと決意するのである。映画には、実在のモデルに近い人物がいることが後からわかったようだ。ビルマの老婆を演じた北林谷栄の演技も絶品。

水島上等兵を英雄視はしていない。ナレーションでは、水島が帰国しなかったことを家族にどう説明するのだろうというセリフがある。隊長がうまく説明するからいいか・・・という、やや冷めたような言葉も。

そして、映像は、「ビルマの土は赤い。」で、僧侶になった水島の歩く後ろ姿で終わる。映画はカラーの予定だったが、機材などの関係でモノクロに変更されたという。

出演:
水島上等兵 -安井昌二 
井上隊長 - 三國連太郎
伊東軍曹 - 浜村純
一等兵 - 春日俊二
高木一等兵 - 中原啓七
岡田上等兵 - 土方弘
中村上等兵 - 花村信輝
川上一等兵 - 千代京二
大山一等兵 - 青木富夫
橋本一等兵 - 伊藤寿章
清水一等兵 - 小柴隆
永井一等兵 - 宮原徳平
松田一等兵 - 加藤義朗
阿部上等兵 - 峰三平
三角山守備隊隊長 - 三橋達也
兵隊1 - 深江章喜
兵隊2 - 成瀬昌彦
兵隊3 - 天野創治郎
兵隊4 - 小笠原章二郎
兵隊5 - 森塚敏
脱走兵 - 佐野浅夫
ビルマの老僧侶 - 中村栄二
物売りの老婆 - 北林谷栄
その亭主 - 沢村国太郎
村落の村長 - 伊藤雄之助

1956年 、ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジョ賞受賞。
1957年、アカデミー外国語映画賞にノミネートされた。

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