「きょうは、わたしの60歳の誕生日に、還暦バースデーに来てくださって、本当にうれしいです。ずーっと死ぬまで、アイドルでいたいと思います。よろしくお願いします」と話した。
1972年に「ひなげしの花」で日本デビュー。一大ブームを巻き起こした元祖アイドルのアグネス・チャンも60歳。
きょうは、”還暦仕様”の赤いちゃんちゃんこならぬ、赤いドレスを披露した。
アグネスは「”還暦アイドル”みたいになってしまいますが、これから積極的に足を鍛えて、ミニを着ていける60歳、65歳になっていきたいと思います」と話した。
アグネス・チャンは、香港のテレビ番組「Agnes Chan Show」のゲストとして知り合った平尾昌晃によって日本に紹介され、1972年11月25日にワーナーパイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)より「ひなげしの花」でデビュー。
当初の衣裳はロングであったが、翌年ミニスカートに変えて人気が急上昇した。
1973年7月発売の「草原の輝き」が大ヒット、同年12月に第15回日本レコード大賞新人賞を受賞。
1973年10月発売の「小さな恋の物語」が自身最大のヒット曲となり、初のオリコンチャート1位を獲得。 1973年大晦日、第24回NHK紅白歌合戦に「ひなげしの花」で初出場。その後も1974年(第25回)、1975年(第26回)まで、NHK紅白歌合戦に3年連続3回出場した。
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「ひなげしの花」のやや舌足らずの日本語がかえって人気に拍車をかけた。
その後、一時期外国にいたが、何十年も日本で暮らしているが、日本語がいまでも下手で、と冗談を飛ばしていた。
「ひなげしの花」が流行った時は、fpdも学生だったが、アグネス・チャンは還暦とは思えないほど若い。日本ユニセフの初代大使も務めた。林真理子らとのアグネス論争などというのもあった。これは、アグネス・チャンによる「子連れ出勤」の是非をめぐる論争。1988年の新語・流行語大賞で「アグネス論争」が流行語部門・大衆賞を受賞した。
時が経つのは早い。
「草原の輝き」(2000年)
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