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<span itemprop="headline">映画「新しき土」(日独合作、1937):原節子主演。</span>



原節子が16歳当時に出演した「新しき土」(原題:Die Tochter des SAMURAI=
侍の娘、1937)を見た。Wikiによると、時代が第二次世界大戦前で、この映画製作の背景には、日本ナチス・ドイツ政治的・軍事的接近の目論見があったとされる。ナチス人種主義では有色人種に偏見があり、ドイツ側は日本のイメージを上げることで同盟の正当性を主張しようとした。おりしも日独合作映画を企画していた川喜多長政とアーノルド・ファンクにドイツ政府が働きかけた結果、この映画の製作となった。原節子の父親役は、ドイツ語を話し、貫禄がある俳優だなと思ったら、後から早川雪洲だと知った。納得。

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海外留学から帰国した青年を主人公に、彼と対立する家族や許嫁(フィアンセ)の葛藤、彼らを包む日本の地理や文化を、ドイツ人のゲルダ・シュトルムという女性記者の視点から描いた作品である。

タイトルの「新しき土」とは、映画の最後に登場するが、満州のことで、日本の満州進出を喧伝する作りになっている。映画は、2012年4月7日より、75年ぶりに全国でリバイバル上映された。

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日独合作映画といっても、映画にドイツは出てこない。
もっぱら舞台は、日本だけで、日本の火山の噴火、地震、家、国家、伝統やしきたり、文化の紹介が中心で、日本の富士山が何度も登場する。

日本の富豪の大和家では、母親が亡くなっているが、息子がいないため、家名を継続するために、娘の光子(原節子)に養子縁組があったが、相手の男・輝夫(杉勇)は、ドイツに留学。実に8年ぶりにドイツから帰国することになった。

その間、光子は、嫁入り支度のため、様々な習い事を身につけていた。茶道、華道、裁縫、弓道、着付け、剣道、琴、ピアノまで多岐に及んだ。

輝夫は、ドイツの友人というゲルダルート・エヴェラー)というドイツ人女性を連れて8年ぶりに帰国した。輝夫は、ゲルダには、日本には光子という結婚する予定の女性がいることを伝えてあった。ゲルダは、ドイツの友人という立場で、家族や、光子の父に伝えた。

                早川雪洲原節子、ルート・エヴェラー

輝夫は、ヨーロッパで学んだ知識から、自由という概念があり、”養子”というのは勘弁して欲しいと双方の家族・親戚に申し出る。光子の父(早川雪洲)は厳格で、輝夫の父も「養子縁組の解消は、私一人では決められないので、家族会議を開きたし」という電報が輝夫のもとに届くのだった。

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ヨーロッパからの西の風という言葉も登場するが、それは機械などの技術のことで、それらをもとに、日本で鉄製品や繊維製品となって、「MADE IN JAPAN(日本製)」の刻印が押されるといった映像も映し出される。


光子は、輝夫と縁談が破談になったことから、一生に一度だけ着る花嫁衣裳を持って、浅間山の火山噴火の場所に死に場所を求めて、向かって行く。

輝夫は、一族の前で、家族の一員になることを宣言、光子を探しに、浅間山噴火の場所に向かって出かける。


間一髪のところで、光子を探し出し、夫婦となり、やがて、満州の荒地に、小さな子供を抱いた光子と輝夫の姿があった。

その近くには、日本兵とみられる緊張した、きつい顔の兵隊がいた。

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多分に時代背景に影響されて、政治的な色彩を帯びた映画であり、外国人(ドイツ人)監督のため、古臭さや違和感も多かった。極東の岸壁は日本が守るといったセリフもあり、ドイツとの同盟を意識した作りになっているようだ。この映画は、ドイツで公開される際にはヒトラーの検閲があったという。

原節子もこの映画のためにドイツ語も習ったようで、自信なさそうなドイツ語をカタコトで話していた。夫役の杉勇は、8年間ドイツに留学したという設定で流暢なドイツ語を話していた。

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原題:Die Tochter des SAMURAI (侍の娘)
日独合作、1937年作品


原作・製作総指揮:アーノルド・ファンク (Arnold Fanck)
監督・脚本:アーノルド・ファンク / 伊丹万作
撮影:リヒャルト・アングスト(Richard Angst)
撮影協力:円谷英二
衣装:松坂屋

音楽:山田耕筰

演奏:交響楽団中央交響楽団
製作:東和商事映画部J.O.スタヂオ
モノクロ、106分 

YouTubeでも全編みられるようだ。

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