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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「にっぽんぱらだいす」(1964):新文芸坐にて。

 
 
今日(4日)に新文芸坐(東京・池袋)で見た二本目の映画は「にっぽんぱらだいす」(1964)。
 
喜劇の第一人者・前田陽一の監督デビュー作。
終戦直後の女性たちの生き抜くための、たくましいパワーを描いている。
 
いわゆる赤線地帯では、置屋で、売春が公認されていたが、売春防止法が施行されると、今度は新しい形態のトルコ風呂(現在のソープランド)に衣替えしたところに、トラックを何台も借り切って、女たちが”転職”していくところまでが描かれている。「蛍の光」の合唱とともに赤線の灯が消えていく、もの悲しいラストが印象的。
 
ラストでは、水着姿の女たちが登場するが、ホキ徳田が自慢の脚線美を披露している。
 
・・・
昭和20年(1945年)、アメリカをはじめとする連合軍が日本に進駐してきた。
国家は、国民外交の円滑な発展を計る、という名目で、R・A・A(特殊慰安施設協会)を開設した。国が認めた、もっともらしい名目だが、日本の一般女子が、進駐軍によるレイプなどの被害を防止するために、合法的に設けた設備のこと。
 
こんな施設を設けるなど日本の恥だと、文句を言うために乗り込んでくるものがいた。菅原文太だ。しかし、今で言うクレーマーのような態度を取って関係者を脅したのは、裏で、カネを貰うのが目的だった。
 
桜原という赤線地帯の業者、蔵本大典(加藤大)も、疎開させておいた店の女達を連れ戻し、R・A・Aで働かせていた。そんな女達の中に、まだお下げ髪の処女・光子(香山美子)もいた。
 
ところが、このR・A・Aも性病の蔓延を防ぐというG・H・Qの指令で閉鎖されてしまう。蔵本は、自分の店の女達を連れて、再び桜原に帰り、妓夫太郎の六助や女達と廓を復興し「日ノ丸楼」と名付けた。
 
そんなとき、蔵本の一人息子・希典(長門裕之)が復員してきた。しかし、そんな父の商売を嫌って希典は家出してしまう。
 
昭和28年、世間は落着きを取戻し、赤線・桜原も繁栄の一途をたどり、「日ノ丸楼」も「ハレム」と名を改めた。ハレムの馴染客で、ニワカ成金の紀ノ国屋(益田喜頓)は、その財力で光子を水揚げすると共に、老妻の了解を得て、妾においた。
 
そんなある日、ハレムに、卒論「日本売春史」作成のため“夜の女”の生活を体験したい、という女子大生・楠千恵子(加賀まりこ)がとびこんできた。千恵子のものおじしない発言は、女達の間に新風を巻き起した。昭和31年5月「売春防止法」が成立。
 
蔵本はそのショックで世を去った。家出をしていた息子・希典は、そんな父の姿をみて、妻の反対を押切り、「ハレム」の後を継いだ。
 
希典は女達のために大幅な待遇の改善をした。
そんなとき、親族の反対で家を追い出された光子が舞いもどった。再び店にたった光子は、純情な学生・柴田(勝呂誉)を知り、次第に心をひかれていった・・・。
 
昭和33年3月売春防止法が発効され、女たちはミス・ソープとなって転身していった。桜原の灯が永遠に消されたその夜、光子は毒をあおった(MovieWalkerほか)。
 
・・・
光子を演じる香山美子の、最初は清純そのものであったが、やがて、夜の女に変貌していく様が見所の一つ。名士の老人の指名により、初めての客をとったのだが、しばらくして、戻ってきた光子の様子が気になる周りの女たちは、興味津々の視線を光子に投げかけた。光子が、開口一番漏らした言葉は・・・。
 
おなかすいちゃった!だった。
 
これにはさすがの先輩の女たちも、喝采、大騒ぎで、光子を胴上げするほどだった。
 
終戦直後の混乱の時代を生きぬいた女性たちのバイタリティが凄まじい。女性たちで組合を作り、経営陣と売上げ?の取り分の交渉をし、希望通りに勝ち取ってしまう。
 
「おなかすいちゃった!」は映画の最後にも登場し、印象深い言葉となった。
 
似たような映画で「赤線地帯」という映画があったが、あちらは、娼婦同士の足の引っ張り合いやどろどろが描かれた名作だが、「にっぽんぱらだいす」は、悪い人間が登場せず、大らかで、女たちが一致団結した人情ものである。
 
 
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