アルフレッド・ヒッチコック監督のアメリカ進出第一作映画「レベッカ」(1940)を再見した。ダフネ・デュ・モーリアの「レベッカ」を原作とした、英国で活躍していたヒッチコックの渡米第一作は、いきなりアカデミー賞最優秀作品賞と撮影賞(黒白部門)を獲得した。
こんな話:
英国コーンウォル海岸近くにマンダレイという荘園を持ったマキシム・ド・ウインター(ローレンス・オリヴィエ)はモンテカルロで知り合った娘”わたし”(ジョーン・フォンテーン)と結婚して帰邸した。
マキシムは美しい先妻レベッカを失って、2度目の結婚だった。城のような豪邸の家政婦のダンバース夫人(ダニー)(ジュディス・アンダーソン)は、レベッカを熱愛、”わたし”を成上りの闖入者のように扱い、レベッカの居間は生前のままに保存。レベッカの高価な衣装などを”わたし”に見せ、レベッカと”わたし”では比べ物にならない、という底意地の悪さを見せていた。
レベッカの死後も、まるでレベッカが家を支配しているようだった。恒例の仮装舞踏会のとき、ダンバース夫人のすすめで、”わたし”は廊下にかけられた美しい画像の婦人と同じ衣裳をつけたが、それがひどくマキシムを驚かし心を傷つけたようであった。
画像の女性はレベッカだった。”わたし”は、夫の心をまだレベッカが支配しているように感じ絶望するが・・・。また、住所録、ハンカチ、刺繍などに「R」(レベッカの頭文字)の文字があった。これらは全てダンバース夫人が縫い付けたものだった。
豪邸には、ダンバースのほか、使用人が何人もいたが、全てが、一年前に亡くなったレベッカと”わたし”を比較しているようだった。
マキシムの姉ベアトリス夫妻も訪ねてきたが、ベアトリスの夫は”わたし”に「乗馬は? ダンスは? ルンバは?」と聞くが、「すべてたしなんだことがない」と答えるしかない”わたし”。マキシムが助け舟を出して「絵画をすこし」と付け加える。
ダンバース夫人は、事あるごとに、”わたし”に嫌味を言ってきた。
「マンダレーを去りなさい」「あなたはここではお呼びでない」「(あなたは)生きる値打ちもない」などと。
”わたし”は、レベッカの関係した手紙類を発見、その破棄を思い立ち、ダンバース夫人を呼びつけて言った。
「全ての手紙を処分してください」。
するとダンバース夫人は「これは、奥様(レベッカ)のものです」と言ってきた。
「(いまは)私が奥様です」。
これは気丈で、反撃に出た瞬間ですっきりした。
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レベッカは、教養・知性があり、美しかったと口々に語られるのだが、やがてその本性がマキシムの口から暴かれる。実はレベッカと結婚して4日後には、レベッカの本性が分かり、悪魔のような性格だったが、世間体のために「良き妻・よき夫」を演じていくことを約束したのだった。マキシムはレベッカに魂を奪われていたのではなく、憎んでいたのであり、亡霊が離れなかったのだった!
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マキシムは、新しい妻”わたし”にレベッカが淫蕩的な女性であり、彼を苦しめ、死の日、レベッカにののしられたマキシムが遂に彼女を追いつめた結果、レベッカが倒れて頭を打って死んだこと、それを彼はヨットに運んで沈めた事実を打ち明けた。
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ヒッチコック作品でも、まだサスペンス的な要素は薄い印象だった。
ただ白黒の画面は印象的だった。
豪邸の使用人の中心的な人物・ダンバース夫人を演じたジュディス・アンダーソンが恐ろしい程の存在感がある。感情を表に出さず、能面のようだが、裏では、仕える主人のいとこと密会していた。それを見られたことから、男に目で合図するところなど、怖さをにじませる演技にはうなる。
ジョーン・フォンテーンはこの映画でブレイクする人気女優となった。
ヒッチコックは女優を売り出すのがうまい。
かつての名作も、20歳頃見たのではわからないことも、今見直すと新たな新鮮さを感じたり、わかりやすかったりすることが多い。社会経験もない学生で見ても、見たというだけで、その当時は納得したかどうか。年齢によって理解度も違うので、見直すことも必要のようだ。
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