TV(BS)を見ていたら、徳光和夫の番組で、岸恵子がゲストで「アラン・ドロン」を特集していた。岸恵子は、フランスに住居を構えていて、40数年前ごろから20年間ほどドロンとは仲間だったという。さすが国際派女優・・・。
ドロンと女優たちを語る岸恵子
ドロンの映画のいくつかを紹介していたが、ドロンは、大の親日家で、1959年から
日本とはなにかと関わりがあるという。「太陽がいっぱい」が公開されたのが1960年。この20数年はビジネスマンのドロンだが。映画で成功し、ビジネスでも成功を収めているのは珍しい。
岸恵子によれば、ドロンは、日本の武士道に見られるような、日本人の生き方に共鳴しているようだ。
ドロンとブロンソンが競演した「さらば友よ」。
ドロン映画では、1,2のお気に入り映画。
この映画、劇場でも数回見ているが、何度見ても、あのフランソワ・ド・ルーべの
音楽とラスト・シーンにはしびれる(笑)。
「仁義」では、初めてひげを生やし、トレンチコートも雑に着て、くわえたばこ。
ドロン35歳で、油が載っている時期だった。ちょうどそのころ、「ダーバン」のCMで、人気は絶頂だった。
リノ・バンチュラ、ジョアンナ・シムカスと共演の「冒険者たち」。
これも、音楽がすばらしい。レティシア(J.シムカス)が亡くなり、今度はドロンが亡くなるときに、バンチュラが、ドロンに「レティシアは、お前と暮らしたがっていた」というと、「そんなはずはあるか」といいながらも、にこりとして死んでいくドロン・・・。男の友情。
1960年代~1970年代は、間違いなく俳優では日本で一番人気だったのが、
アラン・ドロンだった。
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