「有楽町」と言えば、銀座への玄関口。
40年間の変貌ぶりを見てきた。クリスマスの当日、老舗百貨店の有楽町西武が
閉店となった。数年前から、厳しくなるだろうとは言われていた。
新しいスタイルの低価格ファストショップと言われる新しい店がどんどん進出し、
人の流れるコースに変化が表れていたからだ。
「スバル座」「並木座」「有楽シネマ」少し日比谷方面に歩くと「有楽座」「日比谷映画」「みゆき座」「スカラ座」「ニュー東宝」「丸の内ピカデリー」(名前が残っているのもあるが)などがあった。1970年代映画の半分はこの有楽町・日比谷・東銀座界隈で見た。あとの30%は新宿界隈、その他は渋谷、池袋などだった。
日劇(日本劇場)は、60年代は、日劇カーニバルなどで一時代を築き、映画館も「日劇文化」「ATG(アートシアター・ギャルド)」など名作、独立系映画を上映する劇場があり、70年代によく通った。その後、1980年代半ばに日劇が取り壊され「銀座マリオン」として生まれ変わり、マリオン文化が生まれた。
その銀座マリオンには、西武と阪急のデパートがあったが、西武は12月25日を持って26年の歴史の幕を閉じたのである。有楽町の百貨店の閉館撤退は2000年の「そごう」以来だ。そごうの跡地は、家電量販店の「ビックカメラ」となり、秋葉原の家電店以上のにぎわいだ。駅からゼロ分の立地と銀座、日比谷、有楽町という場所がら食事、ショッピング、娯楽などがあるのが強みだ。
西武百貨店が閉店に追い込まれたのは、数年前から、有楽町から銀座へ行く人の流れで大きな不利が指摘されていた。銀座の三越や高島屋、銀座プランタン、ファストショップのユニクロなどに行くには、西武は右側の方に回らなければならず、寄り道という感覚で不便な印象だった。
百貨店そのものが不況に直面していることも要因だ。
景気が低迷する中、敷居の高い百貨店の存在価値そのものが問われる過渡期かもしれない。今年だけで、近年にない11店舗もの百貨店が閉店したという。
有楽町もかつては、「君の名は」の舞台にもなった数寄屋橋があり、いまもその名がとどめられている。フランク永井の「有楽町で逢いましょう」は、一世を風靡したが、今の人は知らない。