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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

★性格俳優(個性派)⑤・・・主役スター級

 
日本人俳優が、外国映画にも出演するようになってきた。
 
古くは、大ファンだった丹波哲郎が「007は二度死ぬ」(1967)で、ショーン・コネリーと共演するなどで、三船敏郎に次ぐ国際スターと言われた。三船は当時すでに「グランプリ」「太平洋の地獄」に出演、その後も「レッド・サン」「ミッドウエイ」「1941」に出演、黒澤作品での圧倒的な知名度とともに”世界のミフネ”だった。田宮二郎仲代達矢も国際的に活躍した。
 
今、日本映画界で世界に通用する俳優は・・・?
 
トップバッターは、”ケン・ワタナベ”だ。
 
渡辺謙」(51)
 
海外での渡辺謙知名度を一気に高めたのが「ラスト・サムライ」。
トム・クルーズと共演し、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされて、ハリウッド・スターの陣列に加わった。映画デビューは「瀬戸内少年野球団」だった。その後「タンポポ」などで注目された。一時、病白血病)に冒され、再起不能とまで言われたが、克服し、復帰以降は大活躍となった。
 
ラスト・サムライ」の後は、ロサンゼルスに居を構え、「バットマン ビギンズ」「SAYURI」などハリウッド映画に続いて出演した。現在、米国においては、日本人俳優では最も高い知名度の誇る俳優の一人となった。最初の海外出演は、クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」で、この栗林忠道役は高く評価された。この映画は、ゴールデングローブ賞外国語映画賞を獲得。イーストウッドはスピーチで「偉大なるケン・ワタナベに敬意を表したい」と語っている。
 
バットマン・ビギンズ」のクリストファー・ノーラン監督は「インセプション」で、再び渡辺謙を起用した。国内にあっても「明日の記憶」に続いて、昨年度の話題作「沈まぬ太陽」で2度目の日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を獲得、名実ともに日本のトップスターの一人であることを証明した。「Godzilla ゴジラ」にも出演。続編にも出演する。
 

役所広司」(1月1日で55) 
 
仲代達矢主宰の無名塾の秘蔵っ子で、無名塾出身の実力俳優第一号となった。当初はテレビの時代劇などに出演していたが、映画では、伊丹十三監督の「タンポポ」に出演。「オーロラの下で」で初めて日本アカデミー賞・優秀主演男優賞を獲得。
 
役所が主演するドラマや映画は評価は高いもののヒットには恵まれず、制作発表記者会見で「低視聴率男です」と笑わせた。
 
転機は「Shall we ダンス?」(1996)。これが大ヒット。ダンスブームが起こった。後に、リチャード・ギア主演でリメイクされた。翌1997年、「失楽園」に主演し、社会現象となるほどの大ヒットとなった。同じ年、今村昌平監督の「うなぎ」に主演し、これがカンヌ国際映画祭で、パルム・ドールを受賞すると、役所は、その2年間で20以上の映画賞を獲得するほどの実力を示した。実際に、1996年から7年連続で日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を受賞、毎年の映画祭の常連となったのである。
 
外国映画にも「SAYURI」をはじめ「バベル」にも出演、着実に地位を築いている。
日本を代表する俳優、渡辺謙と「絆-きずな-」で共演したときには、役所が格上だった。「SAYURI」でも共演。役所は、インタビューで「いい作品であれば、海外作品も出たいが、日本映画で認められたい」と語っている。
 
今年は、役所は「十三人の刺客」「最後の忠臣蔵」と大型時代劇に主演し、安定した演技力を示している。
 
中井貴一」(49)
 
戦後の松竹三羽ガラスの一人、佐田啓二を父に持ち、姉も女優。映画は「連合艦隊」(1981)がデビュー作。その後リメイクの「ビルマの竪琴」で演技力を示し、父も演じた同名作品「新・喜びも悲しみも幾年月」に主演。
 
現代劇から時代劇までこなすが、基本的には、正義感の強い熱血漢の役が多いが、「亡国のイージス」では、珍しく悪役だった。「燃ゆるとき」「壬生義士伝(みぶぎしでん)」などが印象深いが、マキノ雅彦津川雅彦)が映画監督の第1回作品「寝ずの番」に中井を指名、その喜劇的センスを見抜いて、「中井が出ないなら映画は撮らない」とまで言わしめた。事実、この映画の中井のノリノリの”下ネタ”は、思い出しても、笑わせる。岸部一徳とともに、面白さは抜群で「寝ずに見る」価値がある(笑)。
 
1980年代初めごろは、「ふぞろいの林檎たち」のドラマが大ヒット。青春群像劇だが、この映画での中井のイメージが強いが、シリアスな作品でも重厚な演技を見せ、目が離せない俳優の一人だ。
 
外国映画(中国)の出演に迷った時に、高倉健は、中井に「外国映画の1本に出演するのは、日本映画10本に出演するのと同じだ」と諭され、出演したのが映画「ヘブン・アンド・アース 天地英雄」(中国映画)だった。
 
真田広之」(50)
 
千葉真一主催のジャパン・アクション・クラブからスタート。危険なアクションもスタントなしでこなした。サニー千葉千葉真一)に続く、日本のアクションスターとして、デューク真田という名前も持つ。1989年に独立して「ザ・リブラインインターナショナル」を設立。アクションからの脱皮もはかった。
 
たそがれ清兵衛」(2002)が、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされ、主役として、高い評価を受け、海外にその名前を知られるようになった。「ラストサムライ」にも渡辺謙とともに出演、殺陣などを関係者に教えた。英語が堪能で、現在はロサンゼルスに在住。
 
中国映画「PROMISE 無極」では、中国語にも挑戦。親交のあるジャッキー・チェンと「ラッシュアワー3」で共演も果たしている。今年3月には、「第1回グリーンプラネット・フイルムアワード」で、ハリウッドで活躍するアジア俳優の一人として選ばれている。