1946年(昭和21年)、松竹大船撮影所で、野田高梧とともに溝口健二監督作「女性の勝利」の脚本を書いた脚本家・映画監督の新藤兼人が、亡き映画監督・溝口健二の生涯について、溝口監督にゆかりのある関係者39人を取材してまとめたものを映画にしている。39人の中には、fpdが学生時代に映画演劇論の講義を受けた著名な映画評論家(津村秀夫)もいて、興味があった。
この映画を劇場で見たのは、1976年5月15日、今はなき銀座の「並木座」。溝口監督特集で、もう一本は「雨月物語」だった。この日は、この二本のほかに、直前に銀座文化で「暗闇にベルが鳴る」を見ている。一日に3本見るのも当たり前のような時代だった(爆)。
映画で、「取材協力」というクレジットで紹介されていたのは、そうそうたる俳優。
田中絹代の発言。
「溝口先生は、日常生活では、ユーモアがまったくない人です。面白みの
ない人ですね」(笑)。「私ごときが妻は務まりませんね」(爆)。
ない人ですね」(笑)。「私ごときが妻は務まりませんね」(爆)。
主な映画人としては・・・
など。
溝口 健二(1898年5月16日 - 1956年8月24日)は、東京都出身の映画監督。
海外での評価が特に高く、よく引用されますが、フランスのゴダール監督は、好きな監督3人は?の質問に、間髪をいれず「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」と答えたようです。ゴダール以外にも、フランソワ・トリュフォー、エリック・ロメール、ベルナルド・ベルトルッチなどヨーロッパの映画作家にも多大な影響を与えたといわれています。
映画の一部はこちら:中にはリンク切れもあり、これはご容赦ください。
「赤線地帯」の記事はこちら:http://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/47075344.html