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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">1960年代(50)「地獄の戦場 コマンドス」(1969)</span>


リー・ヴァン・クリーフ(Lee Van Cleef)は、渋い役者だった。
user tさんが紹介していたので、取り上げた。この映画を見ている人は少ないような印象。

1925年生まれで、1989年に没(享年64歳)。

ゲーリー・クーパー主演の「真昼の決闘」で映画デビュー。以来、西部劇専門に、
極悪非道な ”ならず者”一筋に演じてきた。

大きな転機となったのは、1965年、イタリアに招かれて出演した「夕陽のガンマン」。
主演のクリント・イーストウッドとともに互角の主役級を演じて、大好評で迎えられた。

以降は、イタリア映画に多く出演した。

地獄の戦場 コマンドス」は、時代こそ1942年の北アフリカの砂漠を舞台にした、イタリア軍とドイツを相手に米軍と連合軍が戦うという第二次大戦を描いているが、完全なイタリア映画でマカロニ・ウエスタンの流れを組んでいる。

こんな話:

1942年10月。北アフリカの米軍キャンプでは、サリバン軍曹(L・バン・クリーフ)指揮のもと、
選びぬかれた少数の兵士たちが、ある特殊訓練を受けていた。

その訓練というのは、イタリア人になりすまして、イタリア軍が占拠している広大な砂漠のオアシスを
奪い、連合軍が上陸するま砂漠のオアシスを確保することだった・・・。

そして奪取が成功したら、イタリア兵に偽装して、イタリアの同盟国ドイツを壊滅することになっていたのだった。

イタリアの軍服に身をかためた謀略部隊は、オアシス占拠に成功した。

やがてドイツ兵がやってきた。アメリカ兵たちは懸命にイタリア兵に化ける。

いざという時のために、天井からマシンガンをかまえていた・・・(このあたりの緊張感!)

なんとか無事にドイツ軍を見送ると、こんどは捕虜にしていた本物のイタリア兵が集団脱走
してしまう。灼熱の砂漠で大追跡が始まった。だが、本物のイタリア兵を乗せたトラックは地雷に
つっ込み大爆発。

ところが、一人だけ、地雷につっ込んでも生き残った兵士がいた。

彼は息も絶え絶えにドイツ軍基地まで行き、ことの次第を報告たから、やがてオアシスに、
ドイツ軍が大拠して攻撃にやってきた。

アメリカ謀略部隊とドイツ軍の大激戦。

結果は、双方一人ずつ残して全滅であった。

生き残った二人は敵味方に分れてはいるものの、お互に戦争のむなしさを語るのだった・・・。

戦闘シーンのすさまじさ、攻防戦、防空壕などがリアルに再現されていた。

リー・ヴァン・クリーフの作品では、お気に入りは・・・。
①「夕陽のガンマン」(イーストウッドのクールさと互角の勝負)
②「続・夕陽のガンマン
③「西部悪人伝」
④「怒りの荒野」(ジュリアーノ・ジェンマの師匠役)
⑤「地獄の戦場 コマンドス」








リー・ヴァン・クリーフの主な出演作品:
「真昼の決闘」(1952)
「原子怪獣現る」(1952)
「決斗!一対三」(1952)
「早射ち無宿」(1953)
「赤い谷」(1953)
「十人のならず者」(1954)
暴力団」(1954)
「西部群盗伝」(1954)
「征服者」(1955)
「白昼の対決」(1955)
デンヴァーの狼」(1956)
「硝煙のユタ高原」(1856)
「悪人への貢物」(1956)
「ロンリーマン」(1956)
「底抜け西部へ行く」(1956)
「襲われた幌馬車」(1956)
OK牧場の決闘」(1957)
「胸に輝く星」(1957)
若き獅子たち」(1957)
「無類の群れ」(1957)
「西部開拓史」(1962)
「リバティ・バランスを射った男」(1962)
(以下、イタリア映画)
夕陽のガンマン」(1966)
「続・夕陽のガンマン」(1967)
「風の無法者」(1967)
怒りの荒野」(1967)
「新・荒野のガンマン」(1967)
「復讐のガンマン」(1968)
「西部悪人伝」(1969)
地獄の戦場 コマンドス」(1969)
鷲と鷹」(1969)
「エル・コンドル」(1970)
「Captain Apache」(1970、未公開)
「西部決闘史」(1970)
「Badman's River」(1970)
「荒野の七人/真昼の決闘」(1970)
「ニューヨーク1997」(1981)