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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">1970年代(134)「フェリーニのローマ」(1972)</span>



イタリアが生んだ世界的な監督、フェデリコ・フェリーニ

フェリーニ作品をはじめて劇場で見たのはサテリコン(1970)だった。
それは強烈だった。ローマ時代の貴族の退廃した生活。豪華絢爛の宴。

1970年のキネマ旬報のベスト10の2位が「サテリコン
(「サテリコン」記事:http://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/30670469.html

その後、「甘い生活」「81/2」「魂のジュリエッタ」「道」などの名作を立て続けに見た。
どれもすばらしい。音楽のニーノ・ロータとのコンビが忘れがたい。

晩年は、「フェリーニの~」という作品を通して、自身の思い出や心情を描いた。

フェリーニの道化師」「フェリーニのローマ」「フェリーニのアマルコルドである。

フェリーニのローマ」には、大女が登場する。フェリーニの好みなのか(笑)。
あるいは、少年の憧れだったのか。

映画は、二部構成。

フェリーニが少年のころから現在に至るまで、見守ってきたローマ。
フェリー二にはローマがどのように映って、変遷を遂げて行ったか描かれていく。

〈第一部〉長い年月、風雨にさらされてローマ最古の道標が今でもローマへの道ばたに立っている。
少年の頃、冬の日に教わったローマの歴史。シーザーが「サイは投げられた」と渡河して行ったルビコンの河原。

劇場で感動したシーザーの舞台、カンピドリオの狼の像、教皇の放送に涙するオバ。
「ローマの処女プリシラ」の活動写真に感動した記憶。やがてファシストの嵐が吹き荒れ、
エチオピア侵略、町々に軍国調が幅をきかす。

二十歳の青年フェリーニはローマの下宿に落着く。旺盛な食欲、開けっぴろげで野卑で生活を
享楽するローマっ子の凄じい活力に眼を見張った。

そして今日のローマ。土星の環のように首都を取りまく環状線。この道路を行く雑多な人と車、
対峙するデモ隊と警官隊。雷雨の中で血を流す事故現場。それらの混乱ぶりとは無緑に照明弾で浮び上る遺跡の孤影。

ローマ郊外のロケ地で学生たちはフェリーニに、この映画で何を描くのかと質問する。

フェリーニは30年前に想いを馳せる。ジョビネリ劇場の寄席。
場末の掛小屋に見る親近感がそこにある。空襲警報に妨げられ、防空壕で明かした一夜。
それは教皇の都を空襲する筈がないというローマっ子を驚愕させた初の空襲だった。

〈第二部〉1871以来ローマに地下鉄が必要だと説かれた。

100年後の今日、今だ地下鉄は完成しない。

ローマの地下は謎に満ちている。100メートルごとに遺跡にぶつかるのだ。
この日考古学者立ち合いの堀削現場で大きな空洞に突き当った。
穿岩器が怪獣のように壁に挑む。壁の向うに正に空洞があった。

華麗な壁画に囲まれた地下大浴場だ。突如、異変がおこった。

壁の穴から吹き込む現代の熱い空気によって壁画が消えていくのだ。

考古字者は絶叫する。「何とかできないか!文化的損失だ」。

現代の若者たち、絶望の青春。野良犬のように肩を寄せあう彼らにもはや「愛」は問題ではない。

「古い宮殿に育ったカソリック貴族の老いた姫君が教皇を迎えて教会のファッション・ショーを開く。

権威にふさわしい豪華絢爛たる衣装の数々。が姫君は孤独に涙を流す。「この町の情ないかわりよう。昔はよかった。人のこころもおだやかで、皆が友だちだった」。

こうした世界と関係なくトラステベレのサンタ・マリアの泉の傍らに寄り集ったヒッピー族は警官隊に追い払われやがてローマの夜は遺跡の世界に戻る。

何度も死に、何度も生き返る都。

肉感的で貴族的で、古く、おどけて傷ついたローマ。

突如、光と轟音が遺跡をゆり起こす。

黒ジャンパーにヘルメットの五十人のオートバイ族が駈けめぐる。
野蛮なSFの侵略の間、ノバナ広場、コロシアム、フォーラムは束の間息をふき返し、
すぐまた、いつもの判読できない無関心に戻る。(Googleなどから)


フェリーニは、15年前の1993年の10月31日、心臓発作によって73年間の生涯を終える。
遺作は「ボイス・オブ・ムーン」。

葬儀は国葬として執り行われ、ニーノ・ロータの曲で葬送が行われた。


☆☆☆