アカデミー賞俳優シドニー・ポワチエ( Sidney Poitier、1927年2月20日生まれ)が亡くなった。94歳だった。国籍を持つバハマ政府が7日に明らかにした。バージル・ティッブス刑事(「夜の大捜査線」)役はとにかくかっこよかった。
ポワチエはフロリダ州マイアミ生まれ。バハマ人の両親は、トマト農家の仕事で頻繁にフロリダを訪れていたという。
10代でバハマから単身渡米。1946年にブロードウェーデビュー。1955年に出演した映画「暴力教室」の生徒役で注目を集めた。この映画は、生徒役にテレビ番組「コンバット」のビック・モローが生徒役のひとりで出演、教師役はグレン・フォード。テーマ曲の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は「アメリカン・グラフィティ」にも使われた。
続く1958年に公開された「手錠のままの脱獄」では主演のトニー・カーティスと共にアカデミー主演男優賞にノミネートされるなど、その後は順調にキャリアを重ねた。1950年代のハリウッドで、黒人が主要なスター俳優を務めたのはポワチエ唯一人だった。
「野のユリ」(1963年公開)で黒人で初のアカデミー主演男優賞に輝いた。「夜の大捜査線」シリーズで人気を不動にした。
名前が「ポイチア」(笑)
黒人俳優の同賞受賞者は2002年のデンゼル・ワシントンまで、ポワチエのみという状況が長らく続いた。
1997年から駐日バハマ大使(本国常駐)を務めたことでも知られる。訃報に際し、バハマのクーパー副首相は「彼がいなくなることは寂しいが、彼の残したものは決して忘れられない」とフェイスブックに投稿した。
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ポワチエの映画を最初に映画館でリアルタイムで見たのは「続・夜の大捜査線」(1970)「新・夜の大捜査線/霧のストレンジャー」(1971)だった。
コートを着て、クールに動く姿のカッコよさが印象的だった。その後、過去作品を遡って見たが、なかでも「夜の大捜査線」(1967)「暴力教室」のリメイク版「いつも心に太陽を」(1967)「招かれざる客」(1968)「野のユリ」「手錠のままの脱獄」などが忘れがたい。
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今ではアフリカ系アメリカ人俳優は、多数が活躍しているが、シドニー・ポワチエの果たした役割は計り知れない。
ご冥福を祈ります。
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