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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

★NHK BSプレミアム「007ジェームズ・ボンド誕生の真実」を見る。



きのう、NHK BSプレミアムの「アナザーストーリーズ」という番組で「007 ジェームズ・ボンド誕生の真実」という番組があったので見た。
 
司会は沢尻エリカだが、昨日は落ち着いた黒を基調とした豪華な衣装とセレブのような雰囲気でなかなかよかった。映画のオープニングのボンドが歩いて、こちらを向き銃を向ける最初のシルエットも沢尻エリカが演じていた。
 
007、ジェームズ・ボンドは、イギリスの作家、イアン・フレミングが生み出したスパイ小説の主人公。その魅力を決定づけたのは、映画第1作「ドクター・ノオ」。
 
しかし、主役に抜てきされたショーン・コネリーは、原作のイメージとは全く違うと、監督は当初大反対。そして、あの有名なテーマ曲のもとになった意外な曲とは・・・?
そして、ボンド・ガールに隠された悲しい「真実」・・・。
 

・・・
007ドクターノオ」(公開時は「007は殺しの番号」)が誕生するまでには、トラブル続きであることなどがよくわかった。アルバートブロッコリーら製作者がアメリカから呼ばれ、監督探しや、主演俳優などの選定で「B級映画で、どうせこけるだろう」と断られ続けたエピソード。
 
英国紳士というイメージで、ケーリー・グラントなどが候補に挙がったという。
そんな中、監督は、まだ代表作がなくギャラも安く使えそうなテレンス・ヤングが結構お金に困っていたようで「ギャラ前金で受け取れるなら」の条件で引き受けた。
 
制作者は、低ギャラで使えるとショーン・コネリーに目をつけた。ヤングは、およそ紳士とは見えない、野卑な俳優・ショーン・コネリーに反対したが、紳士にするために一流を味合わせることにしたのだ。
 
テレンス・ヤングは、裕福な家庭に育ったといい、英国の王室御用達の店などの常連だった。そこへ、コネリーを連れていき、何着も最高級の服(1着25万円:当時)を着せ、夜の世界もアルコールなど一流品を飲ませ、英国紳士に仕立て上げていったという。そして、映画では、コネリーは原作とは違いすぎるという当初の反対の声を覆すことに成功したのだ。
 
番組は大きく3つにわけて紹介していた。
第1の視点007の裏に隠された衝突
プロデューサーの二人:アルバート・R・ブロッコハリー・サルツマン

この二人が監督に起用しようとしていたのはガイ・グリーンガイ・ハミルトンケン・ヒューズしかしすべて断られた。脚本は出来上がっても、どんな映画になるのかわからないし「007」が悲惨な出来になると思ったからかもしれないと、音響編集チーフのノーマン・ワンストールが語っている。

そして監督として起用されたのは、46歳にして代表作のない地味な監督テレンス・ヤングだった。有名監督の代役だった。

ヤングがボンド役の起用でプロデューサーと衝突原作のイメージでヤングは上流階級のイメージがあるケーリー・グラントやリチャード・ジョンソンを起用しようとするが、プロデューサー側はギャラの安いショーン・コネリーの主演に決めた。粗野で武骨な肉体派俳優ヤングの考える、原作のイメージとは全く違った俳優

しかし金に困っていたヤングギャラを全額前払いでもらっているので、自分が高級感のあるスタイル観客を魅了するしかなかったと1974年のインタビューで答えている

元々上流階級育ちのヤングは、彼がコネリーを上流階級とは何かを教えこむのだ。格調のある店でシャツを作り、スーツを作る紳士のたしなみ中折れ帽、アタッシュケースも「本物」にこだわる1流のバーやレストランに連れて行ったが、製作費が大幅に増えて製作者たちは渋い顔をしたようだ。

コネリー自身の撮影が始まる頃には「紳士」らしくなっていたという
そしてボンド役としての最初の撮影がシルビア・トレンチ役のユーニス・ゲイソンに向かって名を名乗るカジノのシーン。ボンドが初めて名前を名乗るシーン「ボンド。ジェームズ・ボンドですThe name is Bond. James Bond)」という、このたった一言にも並々ならぬ力がそそがれていた。これに音楽がかぶさり、ファンはしびれるわけだ。

      ジョン・バリーじゃないよ、原曲を作曲したのは」(ノーマン氏)。
 
第2の視点:007テーマ曲の誕生の裏側
あの有名なジェームズ・ボンドのテーマ曲は、誰が作ったのか後に裁判にもなったという作曲者はモンティ・ノーマン当時34歳)。舞台の音楽、主にミュージカルの作曲者だったが、映画音楽はまったく経験がなかった。ジャマイカが舞台という事でそのメージで作られたテーマ曲の試作「ドクター・ノオのファンタジー」。シタールをギターに変えてみたらまさにあのテーマ曲そしてあの旋律が生まれた
 
曲は出来たがオーケストラ用のスコアが書けないということで、プロデューサーが依頼したのがジョン・バリーだった。
 
第3の視点:姿なきボンドガールの物語
007の映画に「声」だけ出演していた女優がいた。第1作のボンドガール」のハニー・ライダー役ウルスラ・アンドレス原作のイメージはヴィーナス誕生ウルスラが選ばれたのはその肉体美。しかし声は低音で強いスイス訛りがあったという

そこで「声」に起用されたのが舞台女優だったモニカ・ヴァン・ダ・ジルだった。本人曰く「女優として出たかったけど、グラマーではなかったからね」と笑う。

モニカが女優の引退を決めた時記者の前でボンドガールの吹き替えをしていた事を語ったが、それはスクープだった
 
“ボンドガールの声は吹替えだ”として担当していた声優が幻のボンドガールとして紹介されていた。英国人、アメリカ人の誰もが聞いても、訛りのない正確なイギリス英語を話さなければならないというのが基本にあった。モニカ・ヴァン・ダ・ジルという女性は、映画では一切、クレジットは出ていない。言ってみれば、本人曰く、透明人間のような存在。
 
                     「私はウルスラ・アンドレスなど10人のボンド・ガールの声を担当したのよ」
ところが、「007ゴールドフィンガー」の撮影の時だけ、ゴールドフィンガーに扮したドイツ俳優ゲルト・フレーベの言語指導ということで、立ち会ったという。その時のフレーベとモニカのツーショット写真や、集合スケジュールなどの一覧表に「モニカ」と名前が出ていて、本人の存在が確認できたことに喜んでいた。
 


007は二度死ぬ」に出演した浜美枝も、英国で3か月間、英語の特訓を受けたとして本人も番組のインタビューに登場。
 
実際に英語の特訓は受けたものの、最終的には吹き替えとなったという。浜美枝は「英国は完璧を求めるということで(吹き替えにされても)気にしていない」と語っていた。
 
こうした、長い間、“タブー視”されていた問題にもあえて切り込んでいた。自宅らしき場所でインタビューに答えるノーマンの後ろに、日本版の「007 ドクターノオ」のポスターが飾ってあった。ある記事で「ノーマンは、原曲を作ったということで著作権料で暮らしている」という記事がでたことに反発して、裁判を起こしたという。

007シリーズの名場面なども散りばめられて紹介されていた。
番組のラストカットでは「007慰めの報酬」のダニエル・クレイグが紹介されていた。
 
英国の007ファンは、あのテーマ曲が始まるだけでわくわくする、とわれわれ日本人と同じように興奮するといった映像も流れていた。
 

「007 ドクター・ノオ」予告編
この番組:こちらで見られるかも。
それにしてもスパイ映画シリーズが50数年間も続いているとは、インド人でなくてもびっくり!
 

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