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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「ザ・マスター」(2013)

 
ザ・マスター」(原題: The Master, 2013)は、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(2007)の鬼才、ポール・トーマス・アンダーソン監督による人間ドラマ。
 
第2次大戦後の混沌としたアメリカで、圧倒的な力で人々を支配・服従させる新興宗教の教祖と、人生を見失い、宗教にはまっていく人々の姿を描く。ホアキン・フェニックスフィリップ・シーモア・ホフマンの巧みな演技がすさまじい。マスターと呼ばれる教祖を陰で操るのが、マスターの妻(エイミー・アダムス)だが、これがまた怖い。
 
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第二次世界大戦末期。海軍勤務のフレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)は、ビーチで酒に溺れ憂さ晴らしをしていた。やがて日本の敗北宣言によって太平洋戦争は終結。だが戦時中に作り出した自前のカクテルにハマり、フレディはアルコール依存から抜け出せず、酒を片手にカリフォルニアを放浪しては滞留地で問題を起こす毎日だった。
 
ある日、彼はたまたま目についた婚礼パーティの準備をする船に密航、その船で結婚式を司る男と面会する。その男、“マスター”ことランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、フレディのことを咎めるどころか、密航を許し歓迎するという。
 
フレディはこれまで出会ったことのないタイプのキャラクターに興味を持ち、下船後もマスターのそばを離れず、マスターもまた行き場のないフレディを無条件に受け入れ、彼らの絆は急速に深まっていく。
 
 
マスターは“ザ・コーズ”という団体を率いて力をつけつつあった大物思想家だった。独自の哲学とメソッドによって、悩める人々の心を解放していくという治療を施していたのだ。
 
1950年代。社会は戦後好景気に沸いていたが、その一方では心的外傷に苦しむ帰還兵や神秘的な導きが欲されていた時代であり、“ザ・コーズ”とマスターの支持者は急増していった。
 
フレディにもカウンセリングが繰り返され、自制のきかなかった感情が少しずつコントロールできるようになっていく。マスターはフレディを後継者のように扱い、フレディもまたマスターを完全に信用していた。
 
そんな中、マスターの活動を批判する者も現れるが、彼の右腕となったフレディは、暴力によって口を封じていく。マスターは暴力での解決を望まなかったものの、結果的にはフレディの働きによって教団は守られていた。
 
だが酒癖が悪く暴力的なフレディの存在が“ザ・コーズ”に悪影響を与えると考えるマスターの妻ペギー(エイミー・アダムス)は、マスターにフレディの追放を示唆。フレディにも断酒を迫るが、彼はそう簡単にはアルコール依存から抜けることができなかった。やがてフレディのカウンセリングやセッションもうまくいかなくなり、彼はそのたびに感情を爆発させ、周囲との均衡が保てなくなっていく・・・(MovieWalker)。
 
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フィリップ・シーモア・ホフマンが、この映画でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされていたことや、エイミー・アダムスが出演していたことから見た。
 
映画は、トム・クルーズが会員で広告塔ともいわれる新興宗教組織(サイエントロジー)がモデルといわれる。映画では「プロセッシング」という、教祖によれば”脱・催眠術”というのだが、過去の人生にさかのぼり、現在の病気を治癒するというのだが。
 
いずれにしてもカルト的で、どっぷりはまった会員には、教祖の言葉(陰で操っているのは妻のペギー:エイミー・アダムス)をうのみにしているところが怖い。インチキと見破っている人間は「(催眠術でないといいながら)タイムトラベル催眠術に過ぎない。一人のパワーで(大勢が)動くのはカルトと同じ」と断じる。
 
フィリップ・シーモアの演技もすごいが、この映画では、ホワキン・フェニックスの”狂気の”演技がすごい。アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。ホワキンといえば、「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」(2006)でカントリー歌手のジョニー・キャッシュを劇中歌も自ら担当して演じきり、ゴールデングローブ賞主演男優賞とグラミー賞を同時受賞し、二度目のアカデミー賞ノミネートだった。
 
映画は、マスター(師)と弟子という師弟関係、親子の関係といった構図を描いているが、できの悪いアル中の息子を信じ切る親といった関係が描かれる。
 
コーズという教団で、マスター(フィリップ・シーモア・ホフマン)が初めてフレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)と一対一でプロセッシングという問答を行うシーンは、異様だ。
 
「名前は?」「フレディ・クエル」「名前は?」「フレディ・クエル」「名前は?」「フレディ・クエル」「名前は?」と数十回も繰り返すのだ。しかも、瞬きしたら、質問は、最初から始めるという徹底ぶり。「君はつまらぬ人間か?」「人を殺したか?」「自分の印象が気になるか?」「他人に対して誠実か?」と矢継ぎ早に質問が続く。
 
その時の返答の変化(笑ったり、など)をマスターは見逃さない。
マスターのパーティのスピーチのシーンでは、女性が全員、老いも若きも全裸で聴いているといったシーンも異常で異様。ストーリー自体が、まやかし、欺瞞に満ちているので、共感はゼロ(笑)。
 
俳優の演技合戦を見る映画ではあるが、胡散臭い内容なので、面白いから見ては・・・と勧められる映画ではない。
 
フィリップ・シーモア・ホフマンは、この映画の後、2年後の2014年2月2日、ニューヨークのマンハッタンにある自宅アパートで遺体で発見された。死因は現地警察の発表では、ヘロインや、その他の薬物の過剰摂取によるとみられている。46歳だった。それ以前にも、薬物やアルコールの依存症に苦しみ、過去に数回、治療を受けていたという。
 
映画でのホフマンは、とても40代前半とは思えない恰幅があり、「ゴッドファーザー」のドン・コルレオーネ(マーロン・ブランド)をほうふつとさせる貫禄があった。
 
フィリップ・シーモア・ホフマンは、「その土曜日、7時58分」(原題:Before the Devil Knows You're Dead、2007)や「ダウト~アルカトリック学校で~」(原題:Doubt, 2008)で強烈な印象を残した。薬物などに手を出さなければ、50代、60代になってもその演技力で活躍できたはずだが。
 
 
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