「柘榴坂の仇討(ざくろざかのあだうち)」(2014)を見た。
堅苦しい映画かと思ったら、わかりやすく面白い映画だった。
原作は、歴史小説から現代劇まで幅広いジャンルを手掛ける浅田次郎の短編小説。同じ浅田次郎原作の「壬生(みぶ)義士伝」の主演で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した中井貴一が仇敵を追い続ける彦根藩士・志村金吾役を、追われる敵役・佐橋十兵衛を阿部寛が演じている。
主君を失い、切腹することを許されずにただ仇討を続ける男と、その最後のひとりの男との運命的な出会いが、江戸から明治へと移り変わる激動の時代を背景に描かれる。
ストーリー:
彦根藩の下級武士・志村金吾(中井貴一)は、家中随一の剣術の腕を認められ、藩主である大老・井伊直弼(中村吉右衛門)の近習に取り立てられる。直弼の人柄に惚れ込んだ金吾は、命に代えても直弼(なおすけ)に仕えることを誓った。
主君を守れなかった大罪を犯した金吾に対し、彦根藩は打ち首の処罰を考えたが、金吾の罪を背負い自害した両親に免じて打ち首を取り下げ、その代わりとして「水戸浪士たちを討ち、直弼様の墓前に首を供えよ」と命じる。
仇を探し全国を歩き回る金吾だったが、水戸浪士たちは見つからず、金吾は切腹を願い出るが「ご下命の撤回はない」と家老に言い渡される。失意に沈む金吾だったが、妻のセツ(広末涼子)に支えられ仇討のため水戸浪士たちを探し続ける。
既に彦根藩は存在せず、新政府の改革により武士も姿を消していた。しかし、金吾は13年前の命令を果たすため、ひたすら仇を探し続けていた。
桜田騒動に関わった水戸浪士たちも江戸から明治へと時代が移る中で次々と死んでいき、唯一人生き残っていたのは、金吾がかつて追い詰めた十兵衛だけとなっていた。その十兵衛は既に刀を捨て、「直吉」と名を変え車夫として生きていた。
司法省の役人となっていた金吾の親友・内藤新之助(嶋政宏)は、武士としての矜持を持ち続ける金吾の姿を見て力になりたいと思い、かつて水戸浪士たちの取り調べを担当した元評定所御留役の秋元和衛警部(藤竜也)に相談を持ち掛ける。
同じ武士として金吾の助力を快諾した秋元は、金吾に十兵衛の居場所を教える。
金吾は即座に十兵衛のところへ行くが、その日、新政府は「仇討禁止令」を布告する。
十兵衛の人力車に乗り込んだ金吾は、十兵衛が自分と同じように両親を失い孤独に生きてきたことを知る。人力車が柘榴坂を登り切ったところで十兵衛は車を止め、「自分を討ってくれ」と願い出る。
金吾は自分の刀を与え、十兵衛に一騎打ちを願い出る。金吾と十兵衛は一騎打ちの末にもみ合いになり倒れ込み、十兵衛は再度自分を討つように願い出る。
十兵衛を討とうとする金吾だったが、「命懸けで国を想う者を無下にするな」という直弼の言葉と「国を想う者に不当な処罰を与えれば、誰も国を想わなくなる」という秋元の言葉を思い出し、十兵衛に「新しい人生を生きてくれ」と諭し、十兵衛はその言葉を聞き泣き崩れる。
一騎打ちの後、十兵衛は自分を慕ってくれているマサとチヨの母子の元に戻った。一方の金吾はセツの元に向かい、これまで自分を支えてくれたことに感謝の言葉を伝え、共に家路につく(Wikiより)。
・・・
安政7年3月3日(1860年3月24日)に江戸城桜田門外で水戸藩からの脱藩者17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃、大老・井伊直弼を暗殺した事件「桜田門外の変」を通して、二人の男の生きざまを描いている。
映画の中で、主君を殺された下級武士にとっては、その責任から切腹を申し出るが、その両親が自害したことから、下命は、主君殺しの首を持ってくることだった。
武士にとって「討ち首と切腹は雲泥の差」という時代だった。
追うものと追われる者がじつは同じ苦しみを味わっていたという現実が明らかになり、最後に胸を打つ。時代は大きく変化しているが、武士を捨てることになっても、武士の心はもったまま生きようとする男たち。
「かりそめにも命をかけた訴えを起こした人間はおろそかに扱うな。」
「人の命は、定められており、いつかは分からないが、亡くなるのであれば、それも定めだ。その時までは、懸命に生きるのだ。」
まげ姿の侍の格好と、明治時代に入り、制服を着た役人の服装の人間が重なり合う時代の明治維新の時代背景が面白い。新橋駅(SHIMBASHI STATION)という看板も登場。鉄道が開通する時代に突入していた。また、「東京横濱新聞社」という新聞社も登場していた。
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