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<span itemprop="headline">映画「KANO~1931海の向こうの甲子園~」(2015)</span>



KANO 1931海の向こうの甲子園」(台湾、2014)を見た。
日本統治下の1931年、台湾代表として全国高校野球選手権に出場し、準優勝を果たした嘉義農林学校(通称:嘉農=KANO=かのう)野球部の実話を描いた台湾映画。

海角七号 君想う、国境の南」や「セデック・バレ」2部作など、日本統治時代の台湾を舞台にした作品で大ヒットを生み出してきたウェイ・ダーション監督が製作、「セデック・バレ」にも出演した俳優マー・ジーシアンが初監督を務めた。

3時間とやや長いが、ラストの野球の試合の場面は実際の野球観戦をしているような雰囲気が出ていた。台湾の高校の野球チームが、戦前に甲子園大会に出場していた(計4回)という事実を映画で知らされる。

永瀬正敏が台湾の野球部の監督を演じるが、日本人、韓人(台湾人)など国籍の異なる混成チームを甲子園に導いた実話を描いている。出演俳優は、野球経験が5年以上ある人物を中心に選んだという。投手、野手にしても、プロ野球に近いくらいにキビキビした動きを見せていた。日本人俳優では、大沢たかお坂井真紀小市慢太郎などが出演している。

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日本統治時代の台湾。1929年に誕生した日本人、台湾人(漢人)、台湾原住民による嘉義農林野球部は、新任監督の近藤兵太郎(永瀬正敏)を迎え、近藤の出身高である松山商直伝のスパルタ式訓練で甲子園進出を目指すことになった。

のんびりしたチームだった嘉農野球部は、近藤の鬼のような特訓を1年間続ける中、連敗続きの野球部員も次第に勝利への強い意志が沸き出し、甲子園出場の夢を抱くようになっていく。

そしてついに1931年、台湾予選大会で連勝、日本人のみの常勝チームであった台北商業を打ち負かし、嘉義農林は南部の学校で初めて台湾代表大会で優勝する。

台湾代表チームとして日本へ遠征、夏の甲子園大会に出場した嘉義農林は勝ち進み、決勝へと進出するが惜しくも敗退。だが観客席からは「戦場の英雄、天下の嘉農」と熱い声援が送られた。

嘉義農林の、1球たりとも諦めないそのプレイは5万5千人の大観衆の心を掴み、嘉農躍進の話題は日本中に広まっていくのだった(MovieWalker)。

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近藤が松山商業に在学時代の恩師で監督だった佐藤(伊川東吾)からアドバイスを受ける。「勝つ方法だけを考えるんだ。選手を鼓舞するんだ。球は魂なり。」など。ただそのエスカレートぶりについて行けず辞表を出す。

台湾では、近藤は「勝ちたいと思うな。負けられないと思え。お前たちには、無限の可能性があるんだ。野球は呼吸だ。みんな呼吸を合わせるんだ。忘れるな。」と激を飛ばす。

近藤が強調する「1,2,3のリズム」というのが印象的だった。
単に攻めるだけではなく、待つ姿勢も重要であるということ。
「1、2、3 待て!」「1、2、3、攻撃!」といったリズム。

甲子園で対戦した札幌のチームの監督は、嘉義のプレーを目の当たりにして「嘉農の選手を見ると、どんな球でも一生懸命追い続ける。俺たちの負けだ」と監督に言わしめる。

甲子園球場で、嘉農の選手が、フェンス直撃の特大ヒットを放ち「アジア人で初の記録」も打ち立てた。



嘉農の投手・呉明捷(ごめいしょう)(写真:曹佑寧)は、指が血まみれになりながら投げ続ける闘志を見せつけ印象深い。野球に熱中した高校生たちの青春&成長物語とも言えるが、見所は実際に野球を見ているような迫力と臨場感といったところだろうか。

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