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★訃報:俳優・”サー”ショーン・コネリー(「007」ジェームス・ボンド)逝く。90歳。

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    ボンド死す!

人気スパイ映画「007」シリーズの初代ジェームズ・ボンド役で英スコットランド出身の俳優ショーン・コネリーが、滞在先の大西洋の島国バハマで死去。英BBCが報じた。90歳だった。

英国を代表する名優として「007」以外にも代表作は多く「アンタッチャブル」でアカデミー賞助演男優賞を受賞。「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」など日本でもヒットした作品に数多く出演。

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1930年、英スコットランドエディンバラの労働者階級の家庭に生まれた。スコットランド独立運動の熱心な支持者で、2000年にエリザベス英女王からナイトの爵位を受けた際、スコットランドの民族衣装キルトを着て授与式に出席し、話題を呼んだ。 

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ショーン・コネリーを劇場で最初に見たのは、007シリーズではなく「赤いテント」(1970年公開)だった。1926年に飛行船で北極点へ到達し、同行者のオスカー・ウィスチングと共に人類史上初めて両極点への到達を果たした人物アムンゼンの役だった。

それまで、007のイメージが強すぎて「ボンド役は降りた」といって挑戦した演技派への脱皮の第1作だった。

ただし、その後も「007ダイヤモンドは永遠に」(1971)と「ネバーセイ・ネバーアゲイン」(1983)でボンド役に復帰したが。

もともと髪の毛が薄かったようで、アデランス疑惑?(笑)があったが、「赤いテント」は老けメイクで、地毛だった気がする。共演には、クラウデイア・カルディナ―ル、ハーディー・クリューガー、ピーター・フィンチなどがいた。アムンゼンは、北極の墜落事故のあと、死者として登場した。

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アンタッチャブル」のベテラン警察官役(アカデミー賞助演男優賞受賞)や「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」(1989)のインディの父親で考古学教授役などが印象に残る。ほかに「マー二―」「オリエント急行殺人事件」「冬のライオン」「レッド・オクトーバーを追え!」「ロシア・ハウス」「薔薇の名前」「ロビンとマリアン」「ザ・ロック」など多数。

ショーン・コネリーは記念すべきシリーズ第1弾「007/ドクター・ノオ」(1962)をはじめ「007/ロシアより愛をこめて」「007/ゴールドフィンガー」「007/サンダーボール作戦」「007は二度死ぬ」「007/ダイヤモンドは永遠に」そして「ネバーセイ・ネバーアゲイン」と7度にわたってジェームズ・ボンドを演じてきた。多くのファンに愛され、最高のボンドと評されることも多い。

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今年8月に90歳の誕生日を迎えたものの、最近は体調不良が懸念されていた。

現在のボンド俳優、ダニエル・クレイグは「サー・ショーン・コネリーはボンドとして、そしてそれ以外の本当にたくさんのものとして、記憶されていく。ひとつの時代、ひとつのスタイルを決定した人だ。スクリーン上で表現したウイットや魅力は、メガワット単位で計れるほどだった。現代のブロックバスター映画を作り出した1人だ」とコメントし、コネリーを「映画にとって本当に偉大な存在の1人」とたたえた。

「これからもずっと俳優や映画人に影響を与え続ける」とクレイグは続け、さらにコネリーがゴルフを愛していたことを念頭に「どこに行ってもそこにはゴルフ場がありますように」と追悼した。

 

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いつかはこの日が来ると思ってはいたが、ご冥福を祈ります。

 

参考:ショーン・コネリーの主な出演映画:

eiga-watch.com